本堂
昭和52年(1977)落慶。鉄筋コンクリート造。
お寺は、日常の生活とは違いゆったりと時間が流れています。
それは同じ場所で、長い間、同じようにいのちの営みが繰り返されてきたからでしょう。
人々が暮らし、寺・墓・社が建てられ、さまざまな祈りが奉げられてきた場所。
生きとし生けるものすべて、それは人間だけでなく、虫も鳥も、気も草も、石も土も、
ご先祖さまや亡き人々の魂までも、そして未来に生まれ変わるいのちまでも、すべてを包み込む場所です。
寛永年間後半(1630年代)、本門寺16世 心性院日遠聖人の隠居所として開山。
関ヶ原の戦いでの軍功により、徳川家康に仕えた大名、備中庭瀬藩主 戸川逹安(とがわみちやす)が下屋敷を寄進したと伝えられており、逹安の法名「不変院殿覚如日真大居士」に因み、山号は「不変山」といいます。
(詳しくは歴史の扉ページ参照)
堂宇が完成したのは、日遠聖人の弟子 日東聖人(本門寺17世)によるもので、当初は日東聖人の法号に因み「蓮乗院」とよばれていました。
その後、お万の方の方の孫芳心院(紀州徳川順宣の娘、鳥取藩主池田光仲の妻)の帰依を受け「永寿院」と改称。揚羽蝶の寺紋も池田家からたまわったといわれています。
宝永5年(1708)に没した芳心院の墓所は、造営に一万両はかかったであろうとの風説から通称「万両塚」といわれています。
(詳しくは歴史の扉ページ 江戸時代2を参照)
池上のお山には、四季折々の花が咲き、たくさんの鳥や虫が暮らしています。
耳を澄まして、目を見張り、香りをかいで、五感を研ぎ澄ましながら歩いてみてください。
大きないのちの営み中に自分があることを感じられると思います。
1月2月 梅
3月4月 椿、花梨、桜草、ボケ、枝垂桜、沖縄桜、
木蓮、ツツジ、サツキ
5月6月 紫陽花、ギボシ
7月8月 蓮、睡蓮、百合、サルスベリ
9月10月 彼岸花、西洋薄
11月12月 ツワブキ
本門寺周辺には綿文時代と同じ植生の照葉樹が多く残っています。
永寿院の境内 特に万両塚の墓域にはシイ・タブ・カシなどのこの土地本来の主木群を中心に、低木には花と香りを 楽しめる椿・ 山茶花・ クチナシなど、すそ模様を飾っています。
また、樹齢約100年の銀杏の大木や、欅の並木、赤松・黒松・五葉松・高野槇などのお寺らしい庭木類などバラエティに富んだ樹木がたくさん植えられています。
春、満開の沖綿桜の蜜を啄ばみにたくさんの鳥たちがやってきます。メジロ・ホオジロ・オナガ・ジョウビタキなど 常連さんがたくさんいます。
セミ・トンボ・カマキリなどの抜け殻がたくさん落ちています。
セミは夏の夜、トンボは初夏の朝、羽化途中の虫たちに会うことができます。
毎年3月上旬「啓塾」の頃、夜になると冬眠から覚めたヒキガエルが境内にあふれます。多い時には百匹以上。
ほかに、ヤモリやカナヘビはよく見かけます。
アオダイショウの抜け殻も毎年見つかります。