後継者
歴史を紐解いてみると、後継者の選択にはさまざまなドラマがあるものです。
選ぶ側にも選ばれる側にも相応の覚悟が読み取ることができます。
私事ですが、長男が僧侶の資格を取得し、寺の跡取りとしてスターとラインに立ちました。
今後、経験を重ね必要な資質を身に付けたころに住職の継承をしたいと考えています。
お寺の世界には「住職三年もの言わず」という言葉があります。
住職に就任してもすぐに自分のやりたいことをせず、三年間は前住職のやり方を踏襲しながら、前住職が大切にしてきたものは何か、この寺が何百年も続いてきた理由は何かなどを肌で学び、自分のやり方を探す時間が必要なことを伝えているのだと思います。
また、形を受け継ぐことは必要ですが、うわべだけの形を継承することに固執しては、時代錯誤に陥ったり、頑固者と呼ばれたりすることになり、柔軟性も必要になります。
私も住職就任当初は右も左もわからず、多くの人に助けていただきながら、日々過ごしていたことを思い出します。
世情を読む
どのような組織や企業にも設立時には苦労があり、安定した経営ができるときもあれば、舵のとり方次第で危機に陥ることがあるものです。世情を読み取る感覚が必要となります。
これからの日本は人口減少や超高齢化の中で、経済活動が縮小していくことが目に見えています。
世界を見てもSDGs(持続可能な開発目標)が掲げられ、経済成長一辺倒の価値観が大きく変わろうとしています。
環境問題・災害対策・貧困格差・戦争・人権など様々な課題に取り組みながら、すべての人々が安心して暮らせる社会を目指さねばなりません。
時代の荒波の中で世界全体の将来を見据え、それぞれの立場で最善を尽くす者が生き残る社会になるのだと思います。
またそれは「すべての人々が仏と成るように」という、お釈迦さまの目指すものとも合致することです。
仏典を読み、理解し、いかに実生活に生かしていくか。
自分の経験の中で未来に伝えたいこと、人々が安心して暮らせる一助とるものを見極めたうえで、後継者に託す、それが大きな課題です。
法灯を継ぐ
仏さまの教え・仏法は、この世の暗闇を照らす灯明「法灯」といわれます。
法灯を絶えることなく引継ぐ者たちは「油」に喩えられます。
師から弟子へと法灯をともすための油がそそがれ、永い時間、仏教は伝えられてきました。
しかし、お釈迦さまの教団は滅後から分派を繰り返し、現在の仏教各宗派に広がっています。
歴史を俯瞰すると、それぞれの宗派が何を大切にして、後継者に法灯を託してきたのかがわかります。
日蓮聖人は、入滅に先立つ弘安5年五年(1282)10月8
同じ灯火でも油の質が変わると炎の色が変わるように、油となる者の受け止め方や伝え方によって法灯の色が変わってもよいものでしょうか。
それぞれの組織の優位性を示すために特別な主張が生まれてくるのは仕方がないことかもしれません。
しかし、お釈迦さまや日蓮聖人の真意は何か、真意に背いてはいないか、常にそれを確認しなければなりません。
私が後継者に後事を託すまでの間に、仏祖の真意をどこまで理解することができるか、日々の修行はまだまだ続きます。
まんだらエンディングノート
後継者 法灯