土に還る 土とは何か 土 浄土

土とは何か

アスファルトに覆われた都会に暮らしているとに触れる機会が少なくなります。
雨の泥道は靴や服が汚れるので嫌われます。ホームセンターでを買い、プランターで野菜を育て、収穫を終えた後のの処分に困るという話も聞きます。

地球の表面を覆うができるまでには何千年・何万年もの時を要します。
大きな岩が細かく砕け砂となり、そこに微生物が住み植物が生え、動物や昆虫の死骸が溜まり、気候や地形・人間の営みなどの影響を受け、永い時間を経て目の前のとなるのです。
こうしてできたは植物の養分となり、地下水を貯え、生き物たちの住みかともなります。
まさにこの地球上に住む生命体を支えているのが「」なのです。

農耕によって生活を支えてきたご先祖さまたちは、地に宿る氏神さまを祀り大事にしてきました。
しかし現代人は工業化や都市化の中であまりにもに無関心になってはいないでしょうか。
 

足下に眠るご先祖さま

私たちもいずれに還る存在です。
しかし現代の埋葬事情を考えると、一部の樹木葬では直接遺骨をに埋めることもありますが、大多数は火葬されお墓に納骨されるので、簡単にに還ることがなくなっています。

お寺の境内墓地の通路の足下には昔の葬骨がそのまま埋まっていることがあります。
葬の場合、数十年後同じ場所に別の遺体を埋葬することがあります。
そのたびに墓標は移動されるので、誰の遺骨かさえ解らなくなってしまいます。
まさに名もなきご先祖さまがに還り足元に眠っているのです。

古代の遺跡や戦災・災害の記憶もの中に埋まっています。
数百年前・数千年前のご先祖さまの営みや文化も足下に眠っているのです。
私たちが住む国の「国」をつくってきたご先祖さまの歴史的遺産です。

現代を生きる私たちが、に還らない有害な物質をどれだけ地下に埋めているかという事に目を向けてみてください。
未来の人たちから見た私たちは負の遺産を置き去りにしたご先祖さまになっていることに気づくことだと思います。
に触れながら、過去と未来にも思いを馳せ、現代社会をどう生きるか考えてみましょう。

浄土

仏教で「国」とは、天地山川草木等の心を持たない自然界のすべてを指します。
その「国」に住む生きとし生けるものすべてを衆生といいます。
衆生がみな仏に成ることができれば、その国は仏の国「浄」となります。
とは、苦しみや悩みごとのない安定した浄らかな国のことを指します。

経典によって、極楽浄・霊山浄・寂光浄・等の浄が説かれています。
さまざまな仏さまにはそれぞれの国があるからです。
極楽浄はこの娑婆世界を遠く離れた西方の彼方にある阿弥陀仏の浄のことです。
衆生は苦の娑婆を嫌い、阿弥陀仏の他力にすがって極楽に往生しようと願うのが浄信仰です。

これに対して日蓮聖人はこの娑婆世界を離れて死後に別の浄にて成仏するのではなく、現実に人々が生きて働きながら、互いに努力し合い、自ら仏に成り、浄をこの世に建設して行こうと説かれました。
そのためには自らの仏の種を大事に育てるようにと導かれたのです。

私たちの仏の種を包み込むように育む「」が仏さまの教えであり、最高の養分を含むが法華経です。
その法華経の養分を吸収し、心を耕すようにと南無妙法蓮華経のお題目を唱えましょう。
私たち一人ひとりが仏と成り、この地球上に住む生命体を支えている「」を浄らかにしていくとともに、自らがに還ったときには、浄を支えると成りたいものです。

まんだら

土に還る土とは何か