大切なもの
海外のホスピス(終末医療施設)で始まったといわれる「死の体験旅行」というワークショップ(体験型講座)があります。
自らが命を終えていく過程を擬似体験し、自分や家族がどのような喪失感を味わうのか、悲しみ苦しみをどのように感じるかを体験する講座です。
まず、自分にとって大切な「人」「もの」「こと」などを書き出し、講師の案内に従って、書き出した大切なものを徐々に手放していきます。
この作業は手放した「大切なもの」はそばにあり、今を共に生きている有難さに気づかせてくれます。
そして、いつか来る「死」が、その「大切なもの」たちにどのような影響を与えるのかを想像することで、「死」を真摯に見つめ、より良い人生の道しるべを探す体験旅行となるのです。
皆さんも「大切なもの」について、ゆっくりと考えてみませんか。また、「大切なもの」は、次世代に「遺したいもの」と一致するかも考えてみましょう。
遺したいもの
「遺産」とは「死後に遺した財産」或いは「先人が残した有形無形のものごと」です。
建造物・遺跡・美術品・音楽・演劇などの有形・無形の文化的所産のなかでも特に後世に遺すべ価値のあるものは「文化遺産」「文化財」として保護されています。
誰もが遺したいと思う「文化遺産」と、私たち個人が生きた証として「遺したいもの」との違いは何でしょうか?
遺したいものを考える際には、お金や地位だけでなく、自分自身の人生の中で培ったものや大切な思い出、信念なども考慮に入れることが大切です。
また、自己中心的な欲望や執着にとらわれて、将来の世代にとって負の遺産とならないように意識しなければなりません。
無形文化財や職人技のように、伝統や技術を後世に伝える際には、データ化やマニュアル化が効率的に思えるかもしれませんが、その根底にある精神的な部分や人間関係の重要性を見落としてはいけません。
伝える側も、受け取る側も、時には寝食を共にして、真剣に向き合い、対話を超えて伝わるものがあることも忘れてはなりません。
伝統や技術を大切にしながら、新しい時代に合った形で継承し、進化させることも重要です。
人生は限られた時間の中で過ごされるものであり、自分自身や周囲の人々と共に過ごし、何を大切にするかを考えると、何を遺したらよいのかも見えてくると思います。
常に此に住して法を説く
仏さまの教えもまた、伝え、遺すのは困難です。
『自我偈』には、
「為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法」
(衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず
而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く)
と説かれています。
いつでも仏さまに会えると思うと、人は慣れて真剣に聞こうという気持ちを失くしてしまいます。そこでお釈迦さまは一計を案じ、大切な教えを護り伝えていくようにと私たちに託し、涅槃に入り、お姿を隠されました。
しかし、肉体が滅しても常に私たちのそばで法を説き導いていることも併せて説かれました。
真実の教え「法華経」が、現代まで伝えられ、遺されてきたのは、お釈迦さまが永遠に伝わるようにと、手立て(方便)を尽くしてくださったからです。
それと同時に「法華経」を大切なものとして未来へ遺そうと受け継いできたたくさんのご先祖さまたちのおかげでもあります。
お釈迦さまといつも共にあると信じ、ご先祖さまに感謝し共に歩んでいけば、私たちもいつか仏に成れるはずです。
道に迷ったときには、お釈迦さまがそばで導いてくださっていることを思い起こし、最高の「遺産」を次世代に受け渡せるよう日々の修行に励みましょう。
エンディングノート
遺産 文化財