捨てられない ゴミ屋敷

ゴミ屋敷

ゴミ屋敷とは、ごみが野積みの状態で放置された建物や土地を意味します。
悪臭やネズミ・害虫の発生、火災や犯罪の心配などから社会問題にもなっています。
屋外にゴミがはみ出すまでにはならなくても、戸建て住宅の数部屋、マンションの個室がゴミで埋め尽くされているという話をよく耳にします。

特に独居の高齢者が、親類縁者と疎遠となり、地域住民からも完全に孤立して片付けが困難になり、ゴミをため込んでしまうケースが多く見られます。
もともと整理が苦手だった人が、寝起きする場所以外は物に埋め尽くされて生活するようになり、介護が必要な年齢になったとき、親族が最悪の状態に気づいたという話を聞きました。
段ボール箱・紙袋・包装紙などを丁寧に畳んでしまい込み、同じデザインの新品の洋服がいたる所に吊り下げられ、大事な書類や薬が思わぬところから発掘されたそうです。
本人には、片づけをしようという思いがあり、整理整頓に関する雑誌や通信販売で買った収納用品も多数発見されました。

高齢者は、認知機能が下がり捨てるか捨てないかの判断力が鈍り、体力も落ちて、物をため込みやすくなります。
さらにゴミ屋敷化が進むと、人との関わりも減り、孤独死への道を進むことになるといわれています。   

捨てられない原因

捨てられない原因として、まず「もったいない」という思いがあります。
「勿体無い」と書き、もともと「神仏に対して畏れ多い」という意味から転じて、「物の価値を十分に生かしきれず無駄になっている」ことを戒める意味です。
高価な物や、あまり使用していないけれど捨てるには忍びない物に「もったいない」と感じるのは自然なことだと思います。

「執着心」も捨てられない原因です。
その物に対する強い思い入れや、手に入れるに至った苦労が手放す心を押しとどめてしまうのでしょう。

捨てられない原因には外的要因もあります。
購買意欲を煽る宣伝、電話やインターネットで簡単に購入し配達される仕組み、短期間で新機能が付加される使い捨て感覚の製品など、「大量消費社会」がもたらす例はたくさんあります。

「モノに囲まれていると安心」「本人にとってはゴミも宝の山だ」ともいわれます。
その裏側には「不安」が存在します。
定年後の不安、災害時の備えなど不安の中身が明確であれば必要な分だけ蓄えればよいのですが、「漠然とした不安」に対しては何をどれだけ蓄えればよいかもわからず、ため込む一方になってしまうのではないでしょうか。

ゴミ屋敷は、本人の思いを無視して他者がゴミを片付ければ済む問題ではなく、本人が抱える心の問題に寄り添いながら片付けることが必要です。
また大量消費の仕組みを見直すことも必要です。

四無量心(しむりょうしん)

「四無量心」とは、①慈(人の幸福を思う心)②悲(人の苦しみを取り除きたいと思う心)③喜(人の幸福を共に喜ぶ心)④捨(平静で平等な心)という仏さまが具えている四つの心持ちです。

四番目の「捨」の平静で平等な心とは、多少の苦楽があっても一喜一憂せず穏やかな心の状態を保つことです。
「捨」によって、日々の出来事に振り回されず、「漠然とした不安」の本質を見極め、必要な物だけを残し、ため込んだ物を捨てることができるのではないかと思います。

そして、物に執着するあまり、分け合うことに思いが及ばなかった心を外に向けると、ため込んだ物を有効利用してくれる行き先が見つかるかもしれません。
それこそが「四無量心」の実践となります。

物で心を埋めるのではなく、「慈悲喜捨」によって欲や不安を取り除き、身軽になって仏道を歩みたいものですね。

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