金子厚山上人は現住職の曾祖父にあたり、明治44年から昭和21年まで永寿院の住職をしていました。
明治2年、建具職人の金子午次郎の長男として生まれ、法華信者の父の縁で10歳そこそこで、初代日蓮宗管長 新居日薩上人に弟子入りしました。
明治17年、永寿院で開催された沙弥校(寺院の子弟の教育機関)に入り、当時の永寿院住職 永野顗山上人らの教えを受けました。
その後、白山福相寺、本郷興善寺の住職を経て、明治44年 永寿院27世住職となりました。
当時の池上の寺院は、どこも檀家が少なく、白米を常食にできないほどの貧乏寺だったといいます。
そのような時代に、暖衣飽食を嫌い、清貧に甘んじ、大正末期に火災にあった本堂の再建や、戦時中の動乱を乗り越えた功績に感謝し、そのご恩に報いるよう護持丹精に努めたいと思います。
金子厚山 文章院日義聖人の墓所は、万両塚の一角にあります。
墓石には、息子であり永寿院第28世、池上本門寺第80世の金子日威 文妙院日威聖人と二人並んで院号が刻まれています。
金子厚山上人について
金子厚山 文章院日義