日蓮聖人のご入滅
身延の山中での9年間の隠栖生活で日蓮聖人のおからだは、病魔におかされるところとなりました。そこで、弘安5年(1282)9月、故郷に父母の墓を訪ね、常陸の湯で湯治するために旅立ちました。
しかし、武蔵野国池上の池上宗仲公の館に着くころには、病は重くなり旅を続けることはできなくなりました。
死期の近いことを悟られた日蓮聖人は「立正安国論」を弟子や信者に講じ、六老僧を後継者として教団の後事を託され、10月13日辰の刻(午前8時)61才の波乱に満ちた生涯を終えられました。
お会式について
●お会式の歴史
日蓮聖人のご命日・逮夜[前夜]の法要儀式をお会式とよんでいますが、芭蕉の句などを見ると古くは、御影供(みえいく)・御影講(みえいこう)・大御影講(おおみえいこう)・御命講(おめいこう)ともいわれていたそうです。
元禄の頃(1688~1704)江戸の町人文化が花ひらき、神田祭りなどの祭りが盛んになり、お会式もその風潮を受けて年々盛んになり、江戸の名物となりました。
●万灯のいわれ
身延山や池上本門寺が江戸で出開帳を行なったときに、取持ちをする講中が講名を書いた提灯を竹竿にいくつも並べて結び、それを二段・三段にして中央に太い竹を通し[秋田の竿灯のようなもの]、それをかついで出迎えたのが万灯のはじまりだといいます。
造花で飾った層塔形式の万灯を押立て、纏をふり、うちわ太鼓を叩き、お題目を唱え、行列を組んで参詣する姿は、文化・文政の頃(1804~1830)が最も派手だったといわれています。
●臨滅度時(りんめつどじ)の鐘
日蓮聖人が亡くなられた時刻(10月13日午前8時)本門寺大堂で「臨滅度時法要」が行なわれます。
前夜、万灯供養が行なわれ、山鳴りのように響いていた太鼓の音も消え、堂内ははりつめた静けさの中にあります。
法要の中頃、日蓮聖人はご入滅のときに弟子の日昭聖人が打鳴らされた「臨滅度時の鐘」が、貫首様によって打たれます。鐘の音を聞きながら、参列者一同ご入滅の往時を忍ぶ、厳粛なひとときです。
御会式の意義
「御会式」とはもともと法会の意味で、読経や説法の集まりのことであり、「法会(ほうえ)の式次」を省略し、敬語の「御」をつけたものです。
ところが、現在は日蓮聖人のご命日の法要のみを御会式とよぶようになりました。
命をかけて私たちに法華経を説いて下さった日蓮聖人に対する報恩感謝のあらわれが御会式であり、法華経を受持していることを身をもって示すために御会式に参詣し、一心にお題目を唱えましょう。
10月11日、12日の10時と14時、13日は朝7時から池上本門寺大堂にて法要が営まれます。http://honmonji.jp/05topic/05event/oeshiki/2013/oeshiki.html
永寿院でも12日17時から法話と法要、境内に日蓮聖人御一代記のイラストが描かれた灯ろうを供養します。
お気軽にご参詣ください。
お会式について
会式 法会