終活ブーム
自分らしい人生の締めくくり方を考える「終活」がブームになっています。
終活とは老後の健康問題・介護・認知症、死後の葬儀や相続・遺品整理などを元気なうちに考えておこうというものです。
自分が亡きあとの不安を取り除き、遺された人に迷惑をかけたくないというのがその理由だといわれます。
その内容はというと、葬儀業者や石材店と葬儀やお墓の生前契約をしたり、公正役場で遺言の手続きをしたり、介護付き老人ホームの予約をしたり…。
見方によっては、外注先を探して、誰かに自分の後始末を依頼しているといえるようにも思えます。
病気のため自分で処理できない場合や、亡くなってこの世にいないときの事ですから当然かもしれませんが、自分らしい人生の締めくくりである終活を人にまかせることに若干の疑問を感じます。
「終活」の前に「宗活」を
昨今の終活ブームは関連業者が作り出した「終活ビジネス」に大衆が躍らされている感も否めません。
本来の終活は「死」を契機に「生」を考えるものだと思います。
そこには死生観・宗教観があってしかるべきです。
宗教や信仰抜きで終活を語ると、どうしてもお金のにおいが付きまとうような気がします。
大事な人を亡くして喪失感に打ちひしがれる遺された人にとっては、あなたが死後どこに行くのか、あなたの宗教観を伝えておくことが救いになるかと思います。
そう考えると、終活をしようと思い立ったら、その前に「宗活」つまり宗教活動をしたほうがよいのではないかと思います。
宗教活動といっても、宗教団体の勧誘ではありません。
仏教の勉強をしたり、気になることをお坊さんやお寺の奥さんに相談したり、目に見えないものに手を合わせてみたり、そんな身近なことを宗活の始まりとして、ご自身の宗教観を育ててみてください。そして同時に具体的な終活の作業に入るとより深まるのではないでしょうか。
この『まんだらエンディングノート』も、「宗活」から「終活」へ導入する道具として、お題目の信仰という観点から論を進めています。
合掌の物語
死をゴールとして、残された時間を逆算しながら、今なすべきことを考えるのが終活の基本です。しかし、死は終わりではなく、あなたと遺された方との新たな関係が生まれるスタートだと考えれば、なすべきことは変わってくるはずです。
あなたの亡きあとも、今あなたが関わっている方々との縁が切れる訳ではありません。
今あなたがお墓や仏壇に向かって手を合わせているその姿は、あなたの亡きあとの残された誰かの姿かもしれません。
いつか自分に手を合わせてもらう「その時」を想像しながら、今をいかに生きるかを考えるのが「宗活」だと思います。
者への感謝、ご先祖さまへの感謝、仏さまによって生かされている「いのち」への感謝、様々な感謝の思いが合掌という形になって表れた瞬間が宗活のスタートです。
思わず合掌したその時の物語をあなたの『まんだらエンディングノート』の一ページに記してみてください。
まんだらエンディングノート
終活 エンディングノート