「名もなき墓」と「名を残す墓」
数十年前までは庶民の墓のほとんどが土葬でした。
土葬の場合、年月を経て同じ場所に別の遺体を埋葬されることもありました。
木の墓標が朽ちて被葬者が誰だかわからなくなる「名もなき墓」が重層していたのです。
それに対してピラミッドや古墳、大名家の墓のように歴史的文化財ともいえる墓は、大きさや荘厳さでその権威を示し、後世まで自らが生きた証を遺そうとしたものです。
そこには被葬者の生への執着と来世への希望が感じられます。
「先祖代々の墓」と「墓じまい」と「散骨」
寺の境内に建ち並ぶ「先祖代々の墓」の歴史は案外浅く、戦後になってからのことだといわれます。
全国的に火葬が普及しカロートに骨壺を納める現在の埋葬形式が広まりました。
ご先祖さまが残してくださった家業や土地建物などに感謝を表す思いを込めて供養を捧げてきた日本人の心情に、火葬の普及が重なってコンパクトな形の先祖代々の墓が広がったのではないでしょうか。
しかし、都市化の波の中でご先祖さまから受け継ぐ資産が減少し、ご先祖さまへの感謝の思いや血縁の意識も薄れてきてしまいました。
金の切れ目が縁の切れ目のような、なんとも現実的で世知辛いご時世です。
そんな中、福島原発帰宅困難区域の人たちの「墓参りが出きなくてご先祖さまに申し訳ない」という話を耳にして、お墓は心のふるさとでもあるのだと感じます。
地方から都会に出てきた人たちの間には、墓が遠いから、子供たちがお参りするのが大変だから、縁が薄れているからと、故郷の墓を片づけようという風潮が広がっています。
また、少子化の結果、一人でいくつものお墓や仏壇を守ることを余儀なくされている人も増えています。
そうなると自分の代でお墓の整理をしなければならないと考えるのも自然なことだと思います。
そのような中で「墓じまい」を考える人が増えています。
しかし、親族からの反対や手続きの煩雑さ、費用負担などの足かせも多く、思い立っても前に進まなかったり、先送りしたりすることも多いようです。
その結果として無縁化する墓も増加しています。
さらに次世代の負担になるからと、先祖代々の墓を持たずに済む「散骨」や「樹木葬」が注目されているのも、また一つの社会現象だといえます。
未来のお墓
歴史をさかのぼれば、庶民の墓のほとんどが「名もなき墓」であったわけですから、現代においても富と名声がある人以外は「名もなき墓」でもよいのかもしれません。
もしかしたら百年後はお墓そのものがなくなっているかもしれません。
でも、お墓がなくなると心を伝える場所がなくなってしまうように思います。
お釈迦さまのご遺骨「仏舎利」は世界各地の仏舎利塔に供養されています。
大切な教えを残されたからこそ、多くの人々がお釈迦さまのお墓を建てたいと望んだ結果です。
自ら何かを残そうとするよりも、自然な形で次世代に何かを伝えた結果、お墓が残っていくという生き方をしたいものですね。
お墓の未来
先祖代々の墓 墓じまい