平成27年7月3日 施餓鬼会 施餓鬼法話 梶山善生師 梶山善生 声なき声

施餓鬼法話 梶山善生師

永寿院の施餓鬼法要とお盆の棚経のお手伝いを20年来お願いしている山梨県笛吹市石和 蓮朝寺住職 梶山善生師のご法話です。


10年前、サンパン島に慰霊参拝をした際に、ひとりで太鼓を叩きお題目を唱えながら炎天下を5時間、行脚(あんぎゃ)をしました。以来何度もサイパンに慰霊に行っています。
亡き祖父の「戦没者を供養するために生かされたのだ」との言葉を思い出し、その祖父に呼ばれて、自分はサイパンに来ていると感じました。
そして、多くの戦没者の魂と祖父の「声なき声」が聞こえてきた経験でした。
平和に暮らしている私たちの「今」は、多くの戦没者やご先祖さまの苦労の上に成り立っていることに感謝をして、「今」を生きる幸せを考えなければなりません。

私たちはこの世に生まれた瞬間から、誰かのお世話になって迷惑をかけながら生きています。
自分が死んでからは人に迷惑をかけたくないので葬儀もお墓も要らないということばを耳にします。その気持ちも大切ですが、周囲の人たちの心の中に亡き方が生き続けている限りは、生前同様に何らかのお世話になり迷惑をかけるのはごく自然なことです。
ご先祖さまから受け継いだものによって、私たちの暮らしがあり、それを次の世代に受け渡すことが生きるということだと思います。
亡き方が遺してくれた思い=「声なき声」を聴いて、今を大切に生きるためにも供養の場は大切です。

私たちの一生は、生老病死・四苦八苦という苦しみの中にあります。
その苦しみをいかに解きほぐすかを示されたのが、お釈迦さまの教えです。
私たちの心の中には、次の十の世界=十界が備わっています。
永遠の苦しみが続く「地獄」、貪欲に貪り続ける「餓鬼」、本能のままに生きる「畜生」、戦い続ける「修羅」、迷い定まらぬ「人間」、喜びもと楽しみの「天井」、聞いて悟る「声聞」、一人で悟る「縁覚」、人のために励む「菩薩」、すべてを悟った「仏」。

その十界の中で仏に近い心持でいられるかを示した処方箋が「法華経」です。
そして「南無妙法蓮華経」のお題目が薬です。
体調が悪い時には、お医者さんに相談して薬を出してもらいます。
でもお医者さんに自分の症状を伝わるか、またそのお医者さんを信頼して素直に薬を飲めるかが問題です。
お医者さんや薬を信用できないからと、自分から治療をしなければ病気は治りません。

「法華経」の中にも、お釈迦さまがこの世の苦しみに効く「薬」を用意しているのに飲もうとしない私たち衆生に、いかに薬を飲ませるかということが説かれています。
私たちのそばでいつも見守ってくださっている「かかりつけの名医」=お釈迦さまに身も心も委ねるような気持ちで、「万能薬」=お題目をお唱えください。

施餓鬼とは、私たちの心の中で貪り続ける「餓鬼」に施すことでもあります。
日々の暮らしを悔い改め、自らの中の仏心で餓鬼を救うような施しが大事です。
お題目にふれ、薬を飲んでいる私たちは、心の中に仏さまを持っているのです。
その自覚を持ち、同時に餓鬼も持ち合わせていることを意識しながら、一心に南無妙法蓮華経と唱えましょう。

この薬はすぐには効いてこないかもしれません。
私たちが生きている間にその効能が現れないこともあるでしょう。
でもジワジワと必ず効いてきます。
ご先祖さまが唱えてくださったお題目のおかげで今の私たちがあるように、
今、私たちが問えるお題目が、子供や孫の時代に効いてくるはずです。

ご先祖さまの「声なき声」に応え、子孫の幸せのために、お施餓鬼の法要でお題目をお唱えいたしましょう。

平成27年7月3日 施餓鬼会 施餓鬼法話 梶山善生師 梶山善生 声なき声

施餓鬼会音楽大法要

法話の後、例年同様、ご先祖さまや新盆の霊位、そして法界万霊に供養を捧げる音楽大法要が営まれました。
雅楽の調べに乗って読経し、散華をしながら、ご先祖さまたちに感謝の思いをお届けしました。
そして梶山上人の法話にあったように、次の世代の幸せを思いながらお題目をお唱えしました。

施餓鬼報告

梶山善生 声なき声

平成27年7月3日 施餓鬼会施餓鬼法話 梶山善生師