畳の上で死ねますか 超高齢化社会の死生観 畳の上で死にたい 超高齢化社会

超高齢化社会の死生観

人口学的に、65歳以上の高齢者が総人口の7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」、21%を超えると「超高齢化社会」と呼ぶそうです。
日本の65歳以上の人口はすでに25%を超え、4人に1人が高齢者である「超高齢社会」に突入しています。
超高齢社会の陰で「生老病死」の「死」が遠い存在となってしまった感があります。
かつて自宅で死ぬことが当たり前の時代がありましたが、現在は9割が病院死、死ぬときは「畳の上で」ではなく、「病院で」が日常となっています。
身近に死を感じられくなったことで、死の準備もイメージしにくくなってしまいました。

老人漂流社会

高齢者の急増は要介護の激増を生み、政府は医療費を削減しようと在宅医療への誘導を進めています。
骨折などで入院した高齢者もけがが治ればすぐに退院させなければ、病院の経営が成り立たなくなっています。
一方で、独り暮らしや家庭の事情で自宅に帰れない高齢者は居場所を探さなければなりません。
病院に長期入院することが難しくなった高齢者の居場所の一つである「特別養護老人ホーム」(特養)は公的な施設で、民間施設に比べて費用が安い分、入居を希望しても何年も待たされるの実情です。
「特養」を待つ間に利用されるのが「介護老人保養施設」(老健)で、病院から自宅にすぐに戻れない高齢者が主にリハビリを行うために一時的に入所する施設です。
特養待ちの高齢者は、短期間に病院や「老健」を漂流することになるといわれます。
民間の「有料老人ホーム」に入り費用を支払っていれば漂流の心配はありませんが、その高額な費用を支払っていくのは大変なことです。
自宅を売り、貯蓄を切り崩し、亡くなるまでの居場所を作るという本末転倒になりかねません。
医療や介護のサービスを受けている高齢者は、税金で生かしてもらっているのだから贅沢を言ってはダメだと我慢をしたり、家族や親族に迷惑をかけられないと体調が悪くてもギリギリまで耐えてしまいます。
その結果、必要以上に深刻な状況となって施設に入らざるを得なくなることもあるそうです。

あなたの畳はどこですか?

畳の上で死にたい」の「畳」とは心が落ち着く場所・居場所という意味ではないでしょうか。
人はよく「迷惑をかけたくない」といいます。
それは迷惑をかけるのが心苦しいというより、誰かの役に立つ存在でありたいという思いから出た声だと思います。
「臨終正念」(正しい思いを持ち続けて終わりに臨む)とは仏教徒の究極の願いでもあります。
そのためには、安らかに送られるような人間関係と仏さまとの関係を築いておくことが第一です。
さらに、地域の医療や介護を有効に使えるよう調べておくこと。
そしてお金の準備をしておくことなど、超高齢社会を生き抜くための具体的な備えも必要ですね。

まんだらエンディングノート

畳の上で死にたい 超高齢化社会

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