年賀状と喪中はがき 年賀状辞退 年賀状 喪中はがき

年賀状辞退

最近、「高齢のため年賀状のやり取りを辞退したい」と書き添えた年賀状を見かけるようになりました。
丁寧に不義理を詫びるその文面に人柄がしのばれ、一抹の寂しさを覚えます。

年賀状を整理しながら、出会った方々の顔を思い浮かべ、人生を振り返る作業は「終活」や「断捨離」の一環にもなると思います。
何十年も会っていない人、型にはまった印刷文面だけのやり取り、商売の思惑でつながっている人など『年賀状だけのつきあい』を整理すると心が軽くなるかもしれません。

しかし、受け取った方は、一方通行でもやり取りを続けるか、この際だからやめてしまおうと割り切るかを迷い、心が重くなるのではないでしょうか。

喪中はがき

昨今、葬儀の小規模化が進み、身内だけで送るということが増えています。
その結果として、喪中はがきを受け取って初めて親戚や知人の死を知るという話を聞きます。
喪中はがきを受け取った後に手紙や線香などを送る「喪中見舞い」という新しい風習まで生まれているそうです。

葬儀の小規模化の理由として、弔問客の接待に追われることなく静かに故人を送りたいという遺族の気持ちは理解できます。
特に大切な人を突然亡くした場合は、その死を受け入れられず、うろたえているなかで、弔問客に対応するは大変なことでしょう。
何とか身内だけで葬儀を終えても、喪中はがきを出す時期になると思い悩む方もいるそうです。

喪中はがきを出した後の弔問や問合せの中には、「なぜ知らせてくれなかったのか」と責められたり、「どのように亡くなったのか」と好奇心で尋ねたりするものもあり、つらい気持ちになるとのことです。
友人知人として喪中はがきを受け取った際の驚きや寂しさもわかりますが、遺族とのやり取りには気を遣いたいものです。

日蓮聖人の年賀状

日蓮聖人晩年の『重須殿女房御返事』は正月五日付で、年賀状ともいえる書状です。
訳文にて概略をご紹介します。

「正月の元日は、日の始め、月の始め、年の始め、春の始めです。この日を大切にする人は人徳を積み、外には人から敬愛されるでしょう」

と、供養の品の礼状に添えて、新たな年を迎える心構えを伝えた後に、
「そもそも地獄と仏とはどこにあるかと調べてみると、私たちの身体の内にあるのだと経文にあります」
と、正月早々から地獄と仏の話になります。

この手紙の受取人「重須殿女房」は、娘と夫を亡くした後に尼になった女性です。
この時も娘を失い心の地獄をさまよっていたのではないでしょうか。

日蓮聖人はさらに続けます。
「わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。
正月の始めに法華経をご供養しようとなさるお心は、木に桜の花が咲き、池に蓮華がつぼみをつけ、栴檀が雪を割って育ち、月が山から出るように、あなたの中の仏を輝かせることでしょう」

自分だけが不幸だと思い込み、暗く沈んでいた心から出た言葉や行いが地獄をつくっていたのだ。
亡き娘とともにお題目を唱え、心を養い、花を咲かせていこうと、重須殿女房の心の扉が開かれたこと思います。
年賀状喪中はがきにどう向き合うか。
相手の思いにどう寄り添うか。
日蓮聖人のお手紙は最高のお手本ですね。

まんだらエンディングノート

年賀状 喪中はがき

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