コロナ禍の悩み
令和3年3月、緊急事態宣言が延長され、いまだコロナウイルス感染収束の兆しは見えません。
コロナ禍で相談機関に寄せられる内容は次の三つに大別されるそうです。
①自分がいつ感染するかわからないという不安
②経済活動の停滞による失業・倒産・借金などの生活苦
③感染してしまった人の「病気そのもの」の苦しみ
①に関しては、マスク・手洗いの励行、三密を避けるなど予防に徹すれば感染を防ぐことができるといわれます。
完全な予防ができない場合は、検査を受け、感染が明らかになった際には早めの治療を受けるなど備えなければなりません。。
②に関しては、災害時と同じように自助・共助・公助の観点から「個人でできること」「地域や業界で協力し合うこと」をやり尽くし、後は公助に頼るしかないとすれば、政治に期待するしかないというところです。
③に関しては、医学・医療に頼るところが第一ですが、自分が発病した際の心の準備をしておくことも大事でしょう。しかし、詳しく知るほど、かえって不安は膨らむばかりです。
どの悩みも簡単に解決できそうにありません。
むしろ、苦しみは常にあるものだと覚悟を決めて付き合っていくと、光が見えてくるかもしれません。
この世は火宅
法華経『譬喩品第三』に
「三界は安きことなし なお火宅のごとし
衆苦充満して 甚だ怖畏すべし」
(この世には平安はない 燃える家のようなものだ
あらゆる苦しみが充満し 甚だ恐ろしい所だ)
とお釈迦さまが説かれています。
生きている限り避けることができない憂いがあるのです。
生老病死の苦しみの炎が私たちの身に迫っています。
コロナ禍は、私たちにそのことを思い起こさせます。
『譬喩品第三』のその後には、
「今この処は 諸々の患難多し
我ただ一人のみ よく救護をなす」
(今この世界は苦しみに満ちている
私だけがその苦しみから救うことができるのだ)
と説かれています。
火の手が上がっている家から私たちを救い出そうと、お釈迦さまは常に呼びかけてくださっています。
その声は直接聞こえていなくても、私たちの中にある仏性に響くのです。
苦悩の中で、取り乱したり、迷ったりしながらでも懸命に生き抜き、地獄から抜け出すことができたら、後になってあれが仏さまの計らいであったと感じることの一つ二つはあるのではないでしょうか。
そのように感じるのは私たちの仏性に、お釈迦さまの呼びかけを受け止める力があるからです。
新しい日常
「新しい日常」というと、時間の使い方や社会とのかかわり方を見直すことを思い浮かべますが、火宅に暮らしていることを思い起こし、仏性を磨くことも「新しい日常」だと思います。
コロナ禍の不安の中にとどまっているだけでは先に進めません。
この難局から脱出する力が私たちには備わっている。
そしてその道をお釈迦さまは示してくださっている。
そのことが説かれている法華経を心に保ち、「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えることが、仏性を磨くということになるのです。
そして、私たち一人一人の仏性を認め合い、助け合うことでさらに仏性は磨かれ、コロナ過を抜け出す力にもなっていくことでしょう。
どうぞ新しい日常の中で、また終活の一環として、仏性を磨いてみてください。
仏性を磨く
火宅 仏性