マンネリとルーティン
「マンネリ」とは「マンネリズム」の略で、「型にはまったやり方を繰り返し用い、独創性や新鮮さを失うこと」を意味します。
はじめは新鮮な体験も、何も考えずにただ繰り返すだけでは、やがて虚しさに襲われます。
「マンネリ」という言葉には、「つまらない」「飽きた」という意味が含まれているのです。
似たようなイメージの言葉の「ルーティン」は、「決まった手順」や「決まった所作」「日課」などの意味があります。
生活のなかで「習慣化」すると、頭で考える前に身体が自然にその動作を行えるようになっていきます。
スポーツや伝統芸能、僧侶の法要などもルーティンによる研鑽が大切です。
日常生活でも、同じ時間に同じことを繰り返していると、健康を維持したり、体の不調に気付いたり、心身をリラックスさせる効果が期待できます。
あたりまえとありがたい
長引くコロナ禍で自由な外出や人と触れ合う機会が減り、変化のない毎日を送っている人は多いのではないかと思います。
日々のルーティンがマンネリ化して虚しくなっていませんか?
一人で、あるいはいつも同じ人とだけ顔を合わせていると思考も広がらず、頭の中でも同じ事ばかり考えて、凝り固まってしまいます。
コロナ禍以前のように、好きな場所に旅行に行ったり、気の合う仲間と飲食をしたりしていたことが「あたりまえ」ではなく、いかに「ありがたい」ことだったのを感じるのではないでしょうか。
「ありがたい」ことを「あたりまえ」で過ごしているとマンネリ化して大事なことが見えなくなってきます。
主体的にルーティンを積み重ねていくと、今まで見えなかったことが見えるようになるかもしれません。
お寺では、千年以上、ずっと同じお経を、毎日毎朝読み続けています。
同じことを毎日毎日繰り返してきた結果、何百世代にわたって、仏さまの貴重な教えが受け継がれてきたのです。
しかし、何も考えずにお経を読むだけでは、教えは伝わってこなかったでしょう。
お釈迦さまから直接お言葉をいただいているような気持で、意味を理解しながら毎日繰り返しお経を読むと、その時々の自分の心の状態に合わせて新たな発見があるものです。
あたりまえの日課が、ありがたい日課になるものです。
皆様も、毎日の通勤や家事の「あたりまえ」の中にも「ありがたい」を探してみませんか。
三五の二法
日蓮聖人は『法華取要抄』というご遺文の中で、法華経がお釈迦さまの生涯のすべての説法の中で、最もすぐれていることを示す特徴として、「三五の二法」があると説かれています。
「三」とは法華経『化城喩品第七』に説かれている「三千塵点劫」のこと。
お釈迦さまは三千塵点劫というはるか昔から、親が子を生み育てるのと同じように、お釈迦さまと私たちが教え導く親子の関係にあると説かれています。
「五」とは法華経『如来寿陵品第十六」に説かれている「五百億塵点劫」のこと。
私たちは五百億塵点劫のはるか昔から、お釈迦さまの愛子であるのに、気づかずにいる。
しかしはるか昔に縁を結んだお釈迦さまと私たちの関係は、天の月がおのずと清い水に影を宿すように切っても切れるものではないと説かれています。
しかし、お釈迦さまの尊い思いを受け取る側の私たちは、そのお声を耳に入れようともせず、理解することができずに過ごしています。
それでもお釈迦さまは、飽くこともなく、私たちにみ教えを説き続けてくださいます。
日常に溶け込んでいるそのみ教えをありがたくかみしめながら、日々のおつとめでお経を読むと、心と体のために、そして人生の締め括りに向けて魂を磨くためにも、最高のルーティンになると思います。
まんだらエンディングノート
マンネリ ルーティン