健康と数値
年齢を重ねるにつれて体の不調が気になる方は多いかと思います。
かくいう私も還暦を過ぎ、血圧が気になる年齢となりました。
最近は家庭用の測定機器も充実し、体脂肪率や脈拍まで表示される体重計や、手首に巻くだけで計測可能な血圧計などが手軽に購入できます。
さらにそれらの機器からスマートフォンにデータが送られて表示されるものもあります。
若くて元気なときには気にもしなかった体重や血圧を毎日測定し、その数字に一喜一憂するこの頃の私です。
血圧の数字が高いと何となく目まいがするような気がしたり、低くなっていたらたくさん歩いたのがよかったのだと納得したり、数字やデータがより身近なものになっています。
そして、その数字の上がり下がりが寿命に直結するのだという思いが強くなりました。
心の病と「いのちに合掌」
仏の教えも血圧の数値と同じように、心が元気なときには身近に感じられないものです。
しかし、悩みや迷いがあるときに、ふと目にした経文や、耳にした説法に心が安らぐことがあるのではないでしょうか。
それが仏道への入口が開いているときなのだと思います。
日蓮聖人は「病によりて道心は おこり候か」とお説きになっています。
病気で悩むことにより仏道を求める心が芽生えるということです。
コロナ禍においては、毎日の感染者数に不安を膨らませたり、気が緩んだりさせられます。
数字や情報に振り回されることなく正しく見極め、受け止め、対処しているでしょうか?
自分中心に物事を見て、感染は他人事で自分だけは大丈夫と油断が生まれてはいませんか?
ネット上には、素人判断で無責任な言葉が氾濫し、真実が見えにくくなっています。
ウイルスの感染に追従するように、世の中全体に心の病が蔓延しているように思えます。
法華経『常不軽菩薩品第二十』に、「あなたは仏になる人です」と出会う人すべてを敬い、合掌して歩いた常不軽菩薩の物語が説かれています。
すべてのいのちを敬う振る舞いによって、不軽菩薩はやがて六根(眼・耳・鼻・口・身・意)が清浄になり、人々を導き、仏になりました。
六根が清浄になるというのは、物事を正しく見聞きし判断できるようになるということです。
他者を敬う「いのちに合掌」という心の薬の効能が示されている一節です。
心の「おくすり手帳」
法華経『如来寿量品第十六』の「良医の喩え」には次のように説かれています。
「ある医者の子供が、誤って毒を飲み、苦しさのあまり冷静さを失い、薬さえも毒だと思い込み治療を拒んでいました。
父親は一計を案じ『良薬をここに置く』と言い残し旅に出ます。
そして旅先から『父は死んだ』と偽りの知らせを届けさせます。
その知らせを聞いた子供は『頼れる父親がいなくなった』と大きな悲しみの中で、父が残した良薬のことを思い出します。
そして薬を飲んだ子供は平癒しました」
お釈迦さまは、迷い惑う私たちのために良薬を残してくださっているのです。
その良薬を口にしようとしないほど毒に犯されている私たち、よほどのショック療法を施さなければ良薬をも飲もうとしません。
コロナ禍は、心の病が悪化しないようにと気づかせるための仏さまのショック療法なのかもしれません。
常備薬や病歴の記入欄がある市販のエンディングノートや薬の情報をまとめる「おくすり手帳」のように、法華経や御遺文の中から、心に響いた言葉や救われた言葉などをノートに書き留めてはいかがでしょうか。
日々移り変わる心の状態によって、心に残る言葉も変わってきます。
ノートを書きながら心の健康状態を確認してください。
エンディングノート
いのちに合掌 おくすり手帳