お寺が無くなる!
人口減少が進む日本では、このまま大都市圏への人口流出が続くと2040年には全国の自治体の半数近くが消滅する可能性があると、増田寛也元総務大臣は平成26年(2014)発行の『地方消滅』にて示しました。
その消滅可能性がある市町村に所在している寺院や神社などの宗教法人もまた消滅の危機にあり、その数は全国の宗教法人数の三分の一にあたる約6万3千件に上るとのことです。
2022年の現在も、人が住んでいない無住寺院や建物が存在するだけの不活動寺院の数は数万もあるといわれています。
過疎地の寺では、葬儀が一件あると檀家が一軒減っていくという現実の中で、住職の後継者もなく、村の消滅とともに寺院も消滅し、統廃合を進めざるを得ない状況に追い込まれています。
お寺は要らない?
コロナ禍で葬儀や法事が縮小される中、身内の葬儀は小規模でもとにかく執り行わねばという意識がある人でさえ、お盆や彼岸・その他のお寺の年中行事は「不要不急」であると感じているとの報告があります。
永代供養墓・散骨・樹木葬など、墓地や供養は年々新しい仕組みが登場し、価格破壊が進み、もはやお寺の墓地管理者としての役割が失われつつあるかの様相です。
檀家であるということは、高額の寄付や年回法要の度に布施を納めなければならず、親から檀家を引き継ぐことを負の遺産ように感じている次世代の人も少なくないといわれます。
寺が無くなっても墓参りができればよい、仏教を知らなくても困らないという、寺院や僧侶に疎遠な人も増えています。
さらに、一般人とかけ離れた贅沢な暮らしをしている住職や、高圧的で寄り添うことをしない一部の僧侶の言動に不信感を懐いているという声も耳にします。
仏具店や葬儀社には、檀家をやめ寺と縁を切るにはどうしたらよいかと相談されることが増えているそうです。
檀家は住職を選べないと我慢をしていた人たちが声を上げ始めています。
人類のエンディングにならないように
しかし、お寺で仏教や歴史にふれることもなく、個々の考えで供養や墓参りを行なうようになると、文化や伝統、地域のコミュニティーも失われていくように思います。
お寺のエンディングは、社会のゆがみや道徳の崩壊につながります。
そして、人類滅亡の序章となり、人類のエンディングを考えなければならなくなってしまいます。
日蓮聖人は『立正安国論』のなかで、鎌倉時代の寺院をめぐる状況について次のように示されています。
「寺塔は甍をつらね、経蔵も立派であります。僧侶もたくさんいて、信者の帰依も変わることなく盛んです。しかし、それはただ表面的なことであって、その内実は、僧侶は諂(へつら)い邪(よこしま)で、人を惑わし、国王も万民も愚かで、その正邪を見分けることができないのです」
世界的な感染症の脅威、武力による他国への侵攻、自然災害や環境破壊など、今私たちが生きている世界は決して平穏で安全であるとは言えません。それを身近に感じていないのは、僧侶が邪で、人々が愚かで、正邪を見分けることができないからだと受け止めることもできます。
『立正安国論』は、
「真実の教えである法華経に帰依すれば、この世界は仏の国となり、衰えることはない。
身は安全で心は平和となる」
と結ばれています。
自分の人生の締めくくりを見つめるエンディングとともに、人類の未来も見据えて、永遠の浄土である地球に生き続けることをイメージしてください。
我々僧侶も人類のエンディングにならぬようお寺を守る努力をしていきます。
エンディング
お寺 エンディング