二十四節気 雨水
二十四節気とは
一太陽年を春分を起点に24に分割したもので、太陰暦とのずれを調整するのに使われました。
12の節気と12の中気を交互に配し、春分・秋分を二分、冬至と夏至を二至とし、立春、立夏、立秋、立冬を四立として合わせて八節としました。現在では太陽の黄道上の軌道から定気法で算出しています。
二十四節気は約15日ごとですが、それをさらに3等分したものが七十二候です。
気候の由来である七十二候は実際に農事に役立つ目安として気象や動植物の変化等を現わしています。
元々は中国で生まれた七十二候ですが、渋川春海が編纂した貞享歴や宝暦暦・寛政暦、明治7年に施行された略本歴などがあり、表記が異なる場合があります。ここでは宝暦歴・寛政歴を参考に、現代語を使ってわかりやすい表記にしています。
雨水 二十四節気
2013年は2月18日が雨水。
立春の次である雨水は12個の中気の一番目になり、旧暦では、1月には必ず雨水を入れることが約束になっています。雨水の意味は空から降るものが雪から雨に変わること。このころから陽気が強くなり、寒さが和らいできます。
1月は睦月(むつき)。親睦、睦まじいなどと使われ、人びとが仲良く行き来する、親しくし合うという意味からという由来もありますが、稲の実を初めて水に浸す頃としての、実月(むつき)を由来とする説も。雨水の頃は農耕の準備を始める目安とされてきましたから、この説も有効に感じてしまいます。
雨水の初候 第四候 土脈潤い起る
新暦では2月18日~22日頃。
土中が潤いはじめる頃です。
まだまだ寒さも残り、朝霜も降りています。
それでも、小鳥のさえずりは盛んになって、白梅は咲きはじめ、モクレンやハナミズキの木々の芽吹きも始まっています。
中国の七十二候では「獺魚を祭る」で、日本版とは違います。
獺(カワウソ)が捕った魚を神様に祭る供え物のように川岸に並べる様子なのだといいます。
獺(カワウソ)は私たちの生活からは現実離れしているような動物ですから、日本の七十二候には取り入れづらかったのでしょう。
七十二候 雨水の次候 霞始めてたなびく
七十二候 第五候 霞始めてたなびく。
新暦では2月23日~27日頃。
霞がたなびき始める頃です。春霞は春の季語。
ほかに春の山、春雨、春雷、春月、春寒、など風流な言葉が並びます。
霞(かすみ)は遠くの景色がはっきり見えない現象をいいます。
偏西風により中国から飛来する黄砂の影響もあるかもしれません。
最近は大気汚染がひどくなっている中国。日本への汚染物質の飛来も心配されています。
また、スギ花粉も多く飛来する春ですから、霞といっても何だか風流を思ってばかりもいられない現実。
いつの日か「マスク」が季語になる日も来るかもしれませんね。
七十二候 雨水の末候 草木萌え動く
七十二候 第六候 草木萌え動く
新暦では2月28日~3月4日頃。
草木の芽が萌え出ずる頃です。
雨水の頃に降る雨を「木の芽起こしの雨」といいます。
雨が降るごとに日に日に暖かくなり、地中ではそのスプリングシャワーによって植物たちが芽を出し始めるのですね。こんな表現は日本語ならでは。
新暦の3月3日はひなまつりです。
ひなまつりは「桃の節句」とも言われ、もともとは旧暦の3月3日でしたから、桃の花が咲くには少し時期が早くなります。まず白梅から咲き始め、次に紅梅が、その後に桃が咲くという順番になります。
五節句は中国の暦から決められた季節の変わり目の境の日。
暦の中の奇数(陽)が重なると、陽×陽=陰へとなり、陰の気を祓い、季節の植物から生命力を貰うるように願ったのが始まりと言われています。
この中国歴法と日本の習俗が上手く重なり、宮中などで厄払いの「曲水の宴」が催されるように。
また、その頃の農耕習俗で、田の神を迎える為に人形を作り、それを撫で穢れを移し、その人形を海や川に流して災厄を祓うという行事が行われるようになりました。
これが、その頃の女児の人形遊び「ひいな遊び」と融合して、ひな祭りとなっていったようです。
また、桃には魔除けの力があるとされ、桃の季節でもあることから、上巳の節句が桃の節句と呼ばれるようになったといいます。
室町時代には女児の無病息災を祈る行事として旧暦3月3日に行われるようになり、いつしか、流し雛が飾り雛になり、宮中で盛大に祝われるようになりました。
時代が下るにつれて、武家社会や裕福な氏族へと広がったひな祭りは、現在では、女の子の健やかな成長や無病息災を願うお祭りとして定着しました。
ひな人形を飾り、白酒や、三色の菱餅、夫婦和合の意味を持つ蛤など、それぞれ意味のある節供を神様にお供えするひなまつり。女の子のいる家庭では大切な節句行事として祝われています。
二十四節気 雨水~七十二候
雨水 二十四節気