仏子住此地 則是仏受用 常在於其中 経行若坐臥
「仏子この地に住せば 則ちこれ仏受用したまい
常に其の中に在して経行し若しくは坐臥したまわん」
法華経「分別功徳品第十七」最後の一節です。
常に仏さまのお心持ちの通り、み教えを自らのこころに受け、実行していく人のことを「仏子(ぶっし)」といいます。
また「受用(じゅゆう)」とは、仏さまが仏子の為にお力をお貸し下さることで、仏さまのお力がそこに宿ることでもあります。
心から仏さまのみ教えを信じ、またそれを実行する者(仏子)には、み仏の心が通い、み仏の力が自らのものとなって現れて、その人の心には、仏さまが宿っているのだとのお示しです。
私たちは毎日の忙しさに追われ、つい怠惰な気持ちが起こり、仏さまの意に背くような行いをしたり、よこしまな考えや私利私欲の念を抱いたまま法華経を拝読したり、お題目をお唱えてしまいがちです。
しかしそれでは何も意味をなしません。
仏さまが一切衆生を我が子として、大慈悲心をもって一切のものをお救い下さるように、私たちは常に仏さまのような心持ち、つまり思いやりの気持ちで他人に接することを心掛けねばなりません。
相手の喜びを自らのものとする人に、仏さまは自らの喜びとして共感して下さいます。
いま一度、仏子としての自覚に目覚めるよう、法華経・お題目修行に励んでまいりましょう。
法華経の言葉
仏子 受用