「この人の舌根は浄くして 終に悪味を受けざらん」
法華経第十九番目『法師功徳品』の一節です。
前回、法華経を世に弘める人、つまり法師は「五種法師」と言い、受持(常に受け持つ)・読(お経本を見て読む)・誦(お経をそらで読む)・解説(説いて聞かせる)・書写(写経する)につとめ、お題目を身に心に唱える人は六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が清浄になることを説明いたしました。
今回はその中の舌の功徳についてです。
他の五根の功徳も大変に重要なのですが、なぜ舌の功徳について取り上げたかと申しますと、この一文は私たちが食事の前にお唱えをする「食法」の一節であるからです。
「天の三光に身を温め地の五穀に神を養う、みなこれ本仏の慈悲なり」で始まる食法は、一滴の水、一粒の米にまでみ仏の大慈大悲のいのちが宿っているということです。
私たちはそのいのちを頂いて生かされていることをしっかりと受け止め、その恩を知り恩に報いるよう精進いたしますと誓うと同時に、感謝の気持ちで頂くのであれば、味はまさしく甘露(最高の味)であるだけでなく、全てが薬食となるであろうとのご教示です。
法華経について
食法 五種法師