こころ清浄ならば 世法もまた 正法にかなう 若し俗間の経書 治世の語言 資生の業等を説かば皆正法に順わん 法師功徳品 意根

若し俗間の経書 治世の語言 資生の業等を説かば皆正法に順わん

法華経第十九番目『法師功徳品』で説かれる六根の最後「意根」についての一節です。

意根」とは「心の深いところ」のことです。
意根が清浄になると、迷いや悩みから生ずる苦しみや喜びなど、ものごとのあり様がよくわかるようになり、心持ちが自然とみ仏のみ教えにそぐうようになってきます。

原文の「俗間の経書」とは世間における倫理や道徳を説いた書物のこと、
「治世の語言」は世の中を治める政治の世界での言葉、
「資生の業」とは、経済のこと全般です。
これら私たちの生活の中に溢れている仏教以外のすべての教えを総称して「世法」といいます。

お題目を心に唱え身に行じておりますと、世法を説くときでも自然にみ仏のみ心にかなうようになっていくことのご教示です。
しかし、往々にして私たちが陥りがちなのは目の前の欲に走り、心穏やかでない状態、つまりみ仏のみ教えを忘れてしまうことです。

「全てのものに思いを巡らす」というみ仏のお心に近づいていくと、み教えが私たちの日常生活、経済活動にまで及びます。
これ程の功徳を受けていることに気づいて、行動してこそみ仏のお心にそうことになるのです。
私たちの日々の生活そのままが仏法の生活であれとのご教示です。

法華経について

法師功徳品 意根

こころ清浄ならば 世法もまた 正法にかなう若し俗間の経書 治世の語言 資生の業等を説かば皆正法に順わん