「法を説くに 心畏れる所なかりき」
法華経「常不軽菩薩品第二十」の一節です。
常不軽菩薩は多くの人々を教化され、また自らの足りないところを修行し、み教えの理解を深めていくことによって、仏様のみ心に叶う心が備わりました。
ご紹介の言葉「畏れるところがなくなる」とは、日蓮聖人が初めてお題目をお唱えになられたみ心のことで、私たちが聖人のみ心を心とし、更に相手の気持ちになり教え導くことで、堂々とみ教えを説くことに畏れる必要がないということです。
迷い多き世界に住む私たちは、ついかたちに捉われ本当のものを見失いがちです。
お経を読むにしても、何度も繰り返し練習していく、すると少しは口に読むことが出来ます。
そして次はお経の示す内容、つまり仏さまの真意を理解し、自らの行いとして体に読むことが本当に仏様のお心に叶うことになるのです。
自身が何を信じてよいかという心の内にある不安「畏れ」を取り除いたところに、仏様と同じ心持が顕れそれが自信となるのです。
日蓮聖人は「日蓮の頭には大覚世尊代わらせたまいぬ」とお認めになられているように、み仏の使いとしてそのご生涯を歩まれ、私たちにお題目の実践をお伝えくださいました。
私たちもそのお心に添うようお題目をこころに受け持ち、精進していくところに必ず自信が生まれ、強い信心が育まれることでしょう。
法華経について
常不軽菩薩 畏れ