一切のものにみ仏は宿る 妙行は体得への道 我等亦自欲得是真浄大法 受持読誦 解説書写 而供養之 真浄の大法 神力品

我等亦自欲得是真浄大法 受持読誦 解説書写 而供養之

「我等も亦自ら是の真浄の大法を得て 受持・読誦し、解説・書写して、これを供養せんと欲す」(妙法蓮華経如来品第二十一)

前回より法華経第21番目の「如来神力品」に入り、末法の世で法華経を弘めるために地涌の菩薩さま方が再びご出現されたことをご紹介いたしました。
この様子を見ていた他の菩薩たちはこのすばらしい光景に大いに感激し、今までの自らの行いの中には、まだ仏さまのお心に叶わない何かがあることに気づかれたのです。
それが「真浄の大法」といわれるもので、これはまさに仏さまのご真意、つまりすべての人々を救いたいというお心持ちです。

そのお心持ちには分け隔てとか特別ということはありません。
だからこそ地涌の菩薩さまを始め、その場所におられたすべての方が仏さまのお心持ちを自らの心持ちとすることが出来たのです。

しかし、末法の衆生である私たちにとっては、なかなか理解し難いところであります。
なぜならば自分の努力したことが結果として顕れなければ意味のないものだという目先の幸せに執着してしまうからです。

このみ教えでは仏さまのいのちが永遠であることと共に、私たちのいのちも永遠であることが説かれていることをご承知いただかねばなりません。
そこで私たち一人ひとりが仏さまの弟子としての自覚を持ち、自他共に一同に仏さまのお力添えをさせていただくという方向にひとつ心がまとまったとき、仏さまはそれならばと私たちに力を添えられるのです。
そこで仏さまは十種類の不思議なお力を顕されるのです。  

法華経について

真浄の大法 神力品

一切のものにみ仏は宿る 妙行は体得への道我等亦自欲得是真浄大法 受持読誦 解説書写 而供養之