永寿院にて「苦悟りの会」のはじまり
苦悟りの会当日は、朝から分厚い雲が広がっていたので天候が心配でしたが、午後には明るい陽射しが!
「苦悟り」とは草取りのこと。草取りをしながら自分を見つめ、雑談をしながら日々の苦労を分かち合い、最後にきれいになったお墓の前で、亡き方々への思いを募らせるという活動です。
午後1時頃、永寿院に約10名ほどの参加者が集まり、軍手や鎌、スコップを準備。永寿院には強力な蚊が多く、虫よけスプレーでしっかりガード! 各自ごみ袋を携えて、草の多い場所に散らばります。
雑草の力強さに驚く
タンポポは日を受けるために、横へ横へと地を覆うように葉を伸ばしていく、と吉田尚英ご住職のお話。
たしかに雑草は地面を這うように広がっており、私が一番抜くのに苦労したのは、やはりこのタンポポ。
比較的スッポリ気持ち良く抜けてくれる草は良いのですが、タンポポの根は複雑に地に入り込んでいて、途中でプッツリ切れてしまう。
雑草のすごいところは「どこにでも」生えること。石のわずかな隙間から、元気に生えている雑草はたくましいやら、抜くほうとしては手間がかかるやら。虫たちもびっくりして次々と飛び出してきます。
一時間ほど苦悟りをして、休憩。みずみずしい梨をいただきながら談話を楽しみます。
なんとこの日は、「苦悟りの会」命名に関わった秋山善生上人が山梨から参加。大変植物に造詣が深く、ニコニコしながら永寿院にある草花について教えてくれました。
お会式が近づいていることもあって、毎年のお会式の混雑ぶりなども楽しく語り合い、10分ほど休んで作業再開です。
苦悟りをしながら思ったこと
苦悟りは単純な作業なので、やっている間に様々なことが頭に浮かんできます。
道沿いに草を抜きながら考えるのは、日々の細々したこと、雑草を抜いている今という時間のこと。お墓に向かえば、ここに眠っている多くの方々のこと。
苦を悟るということは、いったいどういうことなのでしょう。苦を感じないで生きる人はいないけれど、それぞれ苦を感じながら、苦を和らげ乗り越えていくこと、それ自体が生きるということなのでしょうか。
そんなことを考えていると、休憩を挟んでの一時間はあっという間に終了。
すっきりとした道やお墓周りを見ていると、私は心が晴れ晴れとしてきました!
汗を拭きながら顔を上げてみると、みなさんの顔も晴れ晴れしています。「苦悟りの会」最後は、吉田ご住職と共にみんなで記念写真。
改めて苦悟りをした場所を眺めてみると、まだ耕したばかりの地のように黒っぽい土の面が広がっています。
一面緑に見えたものが、ほんの2時間ほどで、すっかりきれいになりました!
(記者 Y.S)
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永寿院 草取り