寺ネット・サンガ「坊コン」 「孤立死」ひとりで死ぬということ ドキュメンタリー番組「独りで死ぬということ」 孤立死 坊コン 永寿院
寺ネット・サンガ「坊コン」 「孤立死」ひとりで死ぬということ
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2013-05-14 ウェブ新聞社 取材班
ドキュメンタリー番組「独りで死ぬということ」
今回の坊コンは、寺ネット・サンガ代表の中下大樹さんのお話です。
新潟県長岡市のホスピス(緩和ケア病棟)で、末期がんの患者さんたちを多く看取ってきた中下さんは、現在、独り暮らしのお年寄りの見回りや、自死を考えるまで追い詰められている方々の相談窓口など、自死や孤立死に関する問題について様々な活動に従事なさっています。
お話の前に、以前放送されたテレビ東京のドキュメンタリー番組「独りで死ぬということ」を30分間拝見いたしました。
スクリーンに映し出されたのは、将来、孤立死が心配されるお二人の女性。
若い時にトラブルに巻き込まれ、以来人を信用できなくなってしまった女性は長い間家に独り引きこもって暮らしています。世間とのつながりは「携帯電話だけだよね」と語り、自身が高齢となった今「死ぬのを待つだけ」と中下さんにその心情を吐露します。
もう一人は、夫に先立たれ、現在一人で病と闘いながら自宅で独り暮らしている女性です。子どもがいないため、せめて夫の七回忌までは生きようと目標を語りますが、番組の途中で病が悪化して入院してしまいます。お見舞いに訪れた中下さんに、彼女は「もう無理かもしれない、しかたがないね」と弱々しい声で話すのでした。
世間とのつながりを自ら断ち、何をするのでもなくただ死期を待つだけの「孤独」。一方では先立った大切な人のために、自分の命をなんとかつなごうとしながら、不安だらけの日々を過ごす「孤独」があります。
場面は変わり、世間とのつながりを断った女性を久しぶりに散歩へ誘い、公園で中下さん、女性、反町先生の3人が並んで腰かけています。
番組には、今回の「坊コン」にも出席されていた法医学者の反町吉秀先生(大妻女子大学大学院人間文化研究科教授)も出演されていました。
○「法医学者が語る死生観」について→http://www.eijuin.jp/News/view/9/177
中下さんは遠くを見つめながら、女性に問いかけます。
「独りで死ぬことってどう思う?」
女性は表情を変えることなく、しっかりとした口調でこう言いました。
「なんともないね!」
少し間を置いて出た、この言葉は衝撃的でした。
生きることと死ぬことを同じように、彼女は自分の「生」も「死」も、ただ時間の流れに任せているように思えました。
スクリーンに映し出された女性の表情から本心を読み取ることはできませんが、言葉を発する少しの「間」は何を物語っていたのでしょうか。
孤立死が社会全体の地盤沈下を招く
孤立死の問題を放置すると、何が起こるのでしょうか。
中下さんは、多くの悲惨な孤立死の現場を目の当たりにした経験を交えながら、現実的な話をしてくださいました。
孤立死の起こった部屋は、事故物件として不動産価値は下がってしまいます。時には、孤立死の起こった部屋をその時のまま放置してあることもあるそうです。
孤立死をした方の散らかりっぱなしの部屋から出る異臭は近所に広がり、その付近に住人は住みつかなくなるか、経済的に余裕のない方たちが住むことになります。
やがて地域全体のスラム化は広がり、治安が悪くなるばかりではなく、地域ごとの格差が大きくなり、社会全体の質の悪化=地盤沈下を招くことになります。
昨年、自死対策のために100億円ほど税金が投入されました。そのおかげで自死者が5000人減少したという事実と共に、その5000人が生み出した経済効果は3000億円ともいわれています。
これらの数字を、私たちにわかりやすいように、中下さんが目に見える形で提示してくださったのですが、その数字ひとつひとつが、様々な事情や感情を持つ人間の姿であると考えると事態はさらに複雑です。
中下さんは「自分には何もできない」というところから「これくらいならできる」ということを見つけ、その小さな「できること」の積み重ねで今がある、とおっしゃいます。
しかしご自身の中での葛藤は強く、ある時には「お前のやっていることは砂漠に水を撒くようなものだ」と言われたこともあるそうです。
核家族化・少子化の現代社会で、今後日本ではますます孤立死は増えていくことが予想されます。直視したくない問題であると同時に、どうしても向き合わざるを得ない問題でもあるのです。
あなたの死に場所はどこですか?
休憩を挟み、グループディスカッションの時間です。
今回は中下大樹さん著『あなたならどうする? 孤立死』(三省堂)を読んだ感想や、先ほどの見たドキュメンタリー番組について感じたことなどを話し合いました。
各グループで出た意見は、まとめてリーダーのお坊さんが発表していきます。
・病院や高齢者施設で「死を待つだけ」。そんな社会的サポートが孤立死対策なのだろうか?
・若者にとっては所得が低く、仕事・結婚・子育て・介護など将来を考えられない社会になっている。まして死について「考えないようにしている」自分がいる
・できるだけ多くの人に看取ってもらい、いろんなことを語りながら逝きたい
・誰かが死ぬということは、必ず誰か悲しむ人がいる
最後に孤立死や震災の現場を多く目にしてきた中下さんは、知ってしまったもの、見てきたものの「責任」が自分にはある、とおっしゃっていました。
○まとめ
かつての日本は、地域のきずなが強く、何か異変が起きた際には必ず誰かがすぐに見つけて対処してきました。しかし、現代の社会の中では「おひとりさま」の言葉がしばしばメディアに取り上げられるように、地域のきずな、また家族のきずなさえも薄れてきています。
誰もが親と同じように将来は結婚し、子どもをつくって、子どもに看取られる――そんな雛形が崩れているのです。
みんなが「しあわせ」に生きることのできる社会、これは単なる夢でしょうか。すべての人が望むのに実現できない原因を、今私たちは真剣に考えていかなくてはならないと感じます。
「孤立死」の問題について直視することが恐くても、今回の「坊コン」のように聞き知ることができます。
心弱い私たちであっても、仲間がこのように一生懸命に活動している姿を見て、心の支えになったり、勇気をもらったりするのです。
「いずれは自分の身にも起こるかもしれない」「今こうしている間にも誰かが」と考えると、「孤立死」の問題は遠い国の話ではなく、身近に迫っていることだと感じられました。
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