プチ法話「お骨の気持ち」
2013年10月21日(月)、寺ネット・サンガ「坊コン」が行なわれました。
今回のテーマは「無縁仏について」です。
プチ法話「お骨の気持ち」というテーマで永寿院の吉田尚英住職のお話を伺います。
まず、お墓は何のためにあるのでしょうというお話から始まりました。
最近は少子化の影響を受けてお墓の継承が難しくなり、自分の入るお墓やお墓の今後に不安を抱く方が増えています。
お墓があってお骨の行方が決まり、安心して晩年を過ごすことができるという方もいます。
また、お墓は故人との対話の場であり、祈りの場でもあります。
亡き方にとって魂が宿るお骨やお墓は依代(よりしろ)であり、縁のある人たちが故人を偲ぶ大切な場所でもあります。
永寿院の境内には古墳があります。古墳からは約1500年前のご遺骨や遺物が発掘されました。
故人と縁のある人が世を去って世代が移り変わっても、お墓は歴史や文化を未来へ遺す大切な場所となります。
お墓を通じて、私たちはその当時の人々の生活や心を想像し、また現代を生きる私たちも同じように様々な思いや文化を未来に受け渡すことができます。
無縁墓に眠る方々も、それぞれのかけがえのない人生があったはずです。
お骨の気持ちを考えながら私たちがお祈りしている時には、きっと眠っている故人やご先祖さまも喜んでいるのではないでしょうか。
吉田住職はご自分が亡くなった際に、お参りしてもらえたらうれしいいだろうなと考えながら、日々おつとめをされているそうです。
ディスカッション「無縁仏について」
無縁仏について、各テーブルに分かれてディスカッションを行ないました。
・無縁という言葉がイメージしにくい、無縁という状況がわかりづらい。
・無縁墓に入るシステムがわからない。
・最近は一緒にお墓に入る仲間(墓友)たちと生前に絆を深める動きがあるようだ。
・最近の無縁墓=合祀墓は、少子化や都市型の現代の社会に合っているお墓の形態かもしれない。
・遠い親戚より、近くの友人たちとお墓に入るほうが気が楽。
・無縁墓にはお花が絶えず、お参りも多い。そういう意味では「無縁」ではないのかもしれない。
無縁墓・無縁仏・無縁社会など「無縁」という言葉について盛り上がったグループが多かったようです。
核家族化・少子化の進む現代、他人同士のお骨を合祀するタイプのお墓が増えていくだろうという意見も出ました。
「無縁」のネガティブなイメージは、むしろ生前の「無縁」の状況が孤立死に結びついていることから来ているようです。
誰も知らない間にひっそりと亡くなり、そのお骨の引き取り手がいないこと(または拒否される状況)に対して心配の声があがっていました。
お坊さんたちの話「無縁仏について」
寺ネット・サンガには各宗派のお坊さんたちが参加しています。
各宗派のお坊さんたちから、無縁仏・無縁墓にまつわる現場の状況をお聞きしました。
他人同士一緒にお墓に入る方々と生前に交流の場をもうけたり、合同で法要を行なっているお寺では、お墓を通じて新しいご縁が生まれているそうです。
ご遺骨を合祀するタイプのお墓は、積極的に受け入れられているのではないかという現場の意見もありました。特に合祀型の「永代供養墓」に注目が集まっており、実際に入りたいと希望している方も多いそうです。
またあるお坊さんは「無縁」という言葉について、仏さまは個々人とのご縁という関係性を超えたところで慈悲の心をお示しになっており、物事や人に固定して「縁がない」という狭義でとらえるのではなく、条件や関係性を超えて広い感覚でとらえてほしいとおっしゃっていました。
○まとめ
お坊さんの話の中で、自分の知らない間に誰かを支え、また支えられているという言葉が印象的でした。
お墓に一緒入る仲間たち(ソウルメイト・墓友)などは興味深い話題で、お墓や死後のことは誰もが抱えている問題なので、仲間たちと一緒に考える寺ネット・サンガのような会がもっとたくさんあったら良いなと思います。
※寺ネット・サンガは発足5周年を迎え、本日代表の中下大樹さんにお花が贈られました。
次回の寺ネット・サンガは11月9日(土)「第14回 仏教ひとまわりツアー お骨の行方」です。
多磨霊園の合祀墓・無縁墓の参拝と勉強ツアーとなっております。
詳細は「寺ネット・サンガ」ホームページにてご確認ください→http://teranetsamgha.com/
寺ネット・サンガ「坊コン」「お骨の行方」
無縁 墓