キリスト教と供養~寺ネット・サンガ「坊コン」 キリスト教と供養 中村吉基牧師 キリスト教 供養

キリスト教と供養 中村吉基牧師

2018年最初の坊コンが2月2日に開催されました。今回は仏教のお坊さんとキリスト教の牧師さん、神父さんが参加という前代未聞のサンガの会。
2014年にも、仏教ひとまわりツアーの番外編として目白の日本聖書神学校を訪問し、クリスマスのお話などを伺ったことがありましたが、今日はサンガの坊コンに日本基督教団の牧師さんが7名、信徒さん1名と東方正教会の神父さん1名が参加してくださいました。
超宗派ならぬ超宗教の「坊コン」は満席。お坊さんたちもいつにも増して真剣な面持ちです。

供養とは』をテーマにしている坊コンですが、「供養」についてキリスト教徒の立場からお話して頂きます。お話くださったのは、新宿にある
日本基督(キリスト)教団 新宿コミュニティー教会牧師の中村吉基(なかむらよしき)さん。


【中村吉基さんのお話・キリスト教と『供養』】

「私達は『供養』という言葉は使わないのですが、『供養』という言葉を調べていくうちに、キリスト教ではこういうことに当たるのかなと思われることを、今日はお話しようと思っています」と中村牧師は優しい語り口で話し始めました。

○聖徒の日(11月第一日曜日)、諸聖人の日の話
キリスト教では、死者は神の手に抱かれていると考えているので、亡くなった方が迷わず成仏するように「冥福を祈る」というような考え方はありません。その為「死者を憶える」とか「記念する」という言い方をします。特定の故人を記念する「記念会」と呼ぶ集会を開くのが仏教の法事にあたるかと思います。

キリスト教では古来から、葬儀後に死者を「記念する」事をいろいろな形で行ってきました。その中で殉教者や聖人を記念することが始められます。5世紀以降に聖人の日が1年を通してまとめられますが、同じ日に複数の聖人が重なることが出てきたことから、東方正教会では聖霊降臨日(ペンテコステ)の次の主日を「諸聖人の日」と定めます。西方教会(カトリック)では5月3日など変遷を経て、700年代に11月1日と定められました。因みにこの「諸聖人の日」前夜が「ハロウィーン」ですが、キリスト教の行事ではなく、ヨーロッパなどで異教的な風習だったものが世俗的な祭りになっていたものです。

西方教会(カトリック)では、諸聖人の日に「死者の為のミサ」が捧げられます。ミサの冒頭に唱える言葉が「永遠の安息を(Requiem aeternam)」という言葉から始まることから「レクイエム」と呼ばれています。

日本基督教団(プロテスタント)では、死者を一般記念する日として「聖徒の日(11月の第1日曜日)」に、各教会で特別な礼拝が捧げられます。日本の場合は家族の中で個人だけがクリスチャンであることも多く、その為聖徒の日に遺族を招いて礼拝を捧げたり、故人の写真を礼拝堂に並べたり、礼拝の中で故人の名前を読み上げたりといった様々な礼拝を捧げています。

また、春・秋のお彼岸に合わせて「追憶記念礼拝」を開くなど、日本の慣習に合わせて各教会の裁量で行事を行ったり、イースター(復活祭)には各教会の教会墓地や納骨堂などにおいて墓前礼拝を捧げたりしています。

○プロテスタントでも「手元供養
中村牧師は「手元供養」など、故人を記念できるようなものがここ数年多くなったように感じているのだそうです。
カトリックや東方正教会の家庭には家庭用祭壇があり、キリストやマリア像、聖人の像、イコンが飾られたりされますが、プロテスタントでは、像などは基本的に持たない、形に表さないシンプルな場合が多く、多くの家庭でも写真と聖書とが本棚やサイドボードのような所に置かれていることが見受けられます。しかし、最近はキリスト教のグッズを売る店などに「手元供養」の業者が制作した家庭祭壇が売られていたり、遺骨を入れられるペンダントや位牌までもがあるそうです。教会では個々の家庭の裁量に任せているそうですが、そういうものが売られる背景には、どこかで死者を記念したい、祈りたい、といった思いの現れ、ニーズのようなものがあるように思うとおっしゃっていました。

○日本独特のキリスト教団のはなし
仏教も色々な宗派があるように、キリスト教にも様々な宗派があります。明治以降、日本で生まれたキリスト教(教団)は10以上あります。代表的なものは内村鑑三らの儒教的キリスト教などですが、これらに共通するのは「先祖供養」「神道の儀礼」などを取り入れているところだ、と上智大学のマーク・R・マリンズ先生は著書に書いているそう。日本独特のキリスト教が「土着運動」として発展したところが大変興味深い点です。
中村牧師はマリンズ先生の著作「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」も参考にと紹介くださいました。

*参考図書:マーク・R・マリンズ著「メイド・イン・ジャパンのキリスト教

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横浜ハリストス正教会の水野神父のはなし

今回の坊コンには日本基督教団(プロテスタント)の牧師さんだけでなく、東方正教会の神父さんまでもが参加くださいました。お話くださるのは横浜ハリストス正教会の司祭である水野宏さんです。

○東方正教会とは
世界的には約3億人の信徒がいますが、そのうち7割がロシア人をはじめとする、旧ロシア帝国領に住んでいる人々です。日本には1万人ほどの信徒がおります。正教会とは、オーソドックスチャーチの日本語訳で、正統派の教会という意味です。ローマ帝国でミラノ勅令によりキリスト教が認められてから続く、古くからの伝統を保持している教会と思ってください。

○亡くなった方の為に祈る理由
東方正教会では、亡くなった人の為になぜ祈るのか?儀礼的なことは宗派ごとに色々な違いがあるのですが、大まかにキリスト教的という考え方としては、神様がこの世を作り、人間を作ったというのがまず前提にあります。その上で、神に似て作られた人間は永遠の命を授かっており、この世での生涯を終えても、信仰によって死後も永遠に生きていくことが出来ると考えるのがキリスト教の考え方です。

供養することで、はじめて天国に行けるのではなくて、キリスト教という信仰を持って、洗礼を受けることで既に天国に行けるものと考えます。そして、生きている以上は神様に祈らなければならないのです。
この世で死んだとしても天国で永遠に生きているわけです。しかしながら死者は、肉体が無いから祈りたくても祈れないので、生きている人が亡くなった方の代わりに神に祈ってあげることが必要だと考えます。それが亡くなった方の為に祈る理由です。

基本は神様に対する賛美の念、感謝の思いを祈るのですが、その他に個々人が祈るものの一つとして「悔い改める」ことがあります。人間は神様の御旨(みむね)に反するようなことをしてしまうものです。そこで、個々それぞれが「どうぞお許しください」と祈るのです。しかし、亡くなった方は祈ることが出来ない為、本人に代わって「どうぞ、天国にいくこの方をお許しください。この世で至らない部分があったかもしれませんが、天国に受け入れてあげてください」と祈ります。

○神に記憶を依頼する
先程、プロテスタントで「記念する」「憶える」と言っていたことは、正教会では「記憶」といいます。神様どうぞ、この人を憶えていてくださいと「記憶を依頼する」のです。正教会では亡くなった方の為の祈りを『永眠者祈祷』と呼んでおります。

○棺の置き位置について
東方正教会を象徴的に表しているのが棺桶の位置です。棺をどこに置くのかという点で宗派による明確な違いとしています。正教会では聖堂の真ん中に棺を置き、祭壇と向きあうように遺体を縦に置くのが特徴となっています。それを参列者が取り囲むようにして祈ります。これは故人本人に代わって、皆が祈ってあげることの表れです。

○四十日祭
亡くなって40日目に大きな祈りをします。四十日祭と呼ばれ40日目にハリストス(キリスト)が昇天したことから来ています。日本では土葬が出来ない為、大概はこの日にご納骨を合わせて行います。それらの故人のために行う礼拝を「パニヒダ」と言います。東方正教会では何回忌というものは無く、基本は毎年のご命日にお祈りをします。

○パンと葡萄酒を分かちあうこと
復活祭が終わった翌週から墓前に行き祈る墓地祈祷の他、毎週日曜の礼拝で故人のためにお祈りをしています。日曜の礼拝では神に捧げられたパンと葡萄酒がハリストス(キリスト)の体と血になると信じられているのですが、そのパンを捧げる時に故人の名を添えることによって祈りとします。




東方正教会の水野神父のお話を聞いて、同じキリスト教でも宗派が違うと、考え方や解釈に違いがあるのだなとわかりました。プロテスタントの牧師さん達も驚嘆の表情でお話を聞いていらっしゃったのが印象的でした。



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グループディスカッションと質問タイム

5つのグループに分かれてグループディスカッションをします。参加くださった牧師さん、神父さんが各グループに入ります。テーマは、私が「故人を記念するというならば・・・」「記念する」という言葉を聞いて思い出す出来事や、人などについて。

・プロテスタントと東方正教会の違いを改めて知って驚いた(牧師)
・亡くなった方の遺言を大切にしているが、これが「記念する」ことに当たると思った
・仏教での「供養する」とキリスト教での「祈る」ことの違いがわかった
キリスト教では葬儀は遺族の為にやるものと思っている(牧師)
・記念というと、立派なことをした人を記念するとか、石で記念碑を作るとかのイメージ
・写真が「記念」なのでは
・「記念」とは故人がどのように信仰者として歩んだかということ(牧師)
・「記念」という言葉は「憲法記念日」「終戦記念日」などを連想し、指示的な印象
・何かのきっかけで故人を「思い出す」ということが「記念する」ということなのかなと思う
・死とは限らない部分でも日本人は「記念」という言葉を用いている気がする
・「記念」とは、想起する、その人を思い起こす事。ことあるごとに思い起こすことが「記念」(牧師)
・水野神父の話にあった「神様に憶えてもらう」という考え方を聞いて新鮮に感じた(牧師)

○質問タイム
Q.牧師からの質問~「ペット供養」について仏教ではどのようにとらえて、行っているの?
     
A.仏教と他の宗教の一番の違いは修行がある所。亡くなって引導を渡して終わりではない。だから供養が必要で、それは人もペットも同じです。さらに良いものに生まれ変われるように修行・供養が必要と考えます。
A.お釈迦様の涅槃図には猛獣や蛇や虫も描かれています。生きとし生けるもの全てが平等に天国なり浄土・極楽へ行きます。私の寺でも30匹ほどお骨を預かっています。皆さんそれぞれ供養をしているようですね。仏教でというよりは日本人として供養している印象があるような気がします。
A.仏教にある「六道輪廻」、これを周りながら解脱をしていく。こちらが功徳を手向け回向することによって上にあがっていくとしています。ただ、ペット専用墓ではなく、個人の墓地内に一緒に埋めたいと言われると色々な問題が出てきますね。

Q.非業の死を遂げた人や、名もなき方の場合はキリスト教ではどう記念するのでしょう?

A.毎週会っていたホームレスの男性が凍死して亡くなっていたことを知って、無力感を感じたことがあります。キリスト教でも、施主や喪主がいなくても葬儀ができます。また、納骨堂やお墓を持っている教会では、大抵永代供養をしています。
A.大阪の釜ヶ崎で救世軍の活動を研究した経験があります。ここはカトリックの施設が多く、亡くなったホームレスの方の葬儀を無料で行い、納骨までできる施設がある。キリスト教でこういった活動をしている施設は少ないと思います。
A.個人的な感覚で申し上げるが、非業の死を遂げた方がどうなってしまうのだろうと考えるのは非常に日本的だと感じます。仏教的な感覚が影響しているように思います。基本的にキリスト教では、故人の亡くなり方はあまり考えません。亡くなれば天国に行くので、たとえ非業の死を遂げたとしても幸せな死を遂げた方と同じように天国に行くと考えます。


Q.キリスト教の牧師ですが、両親はお寺の檀家だったので葬儀はお寺でしました。その時の法話で、住職は戒名を付けた由来を語ってくれた他は、故人の話はしませんでした。キリスト教では、故人のこれまでの略歴を話したり、故人が歩んできた信仰生活の話をするので、そういったことが違うなと感じました。

A.住職の人柄が葬儀内容にも影響すると思います。様々な僧侶がいて、檀信徒の方々と親しくお付き合いしているお寺もあります。故人の生き方を理解したうえで供養している僧侶は大勢いるのでご安心ください。

Q.お坊さんは親がお寺でそのあとを継ぐ場合が多いのですが、キリスト教ではどうなのでしょうか?

A.正教会で親が神父で子どもも神父になった方はあまりいません。
A.日本基督協団では世襲制というのはありませんが、私は父が牧師なので2世です。
A.私の両親は仏教徒です。神学校で教えていますが2世牧師は多いですね。昨今は迷わず牧師を目指すも多い気がします。 2世が牧師になったとしても、同じ教会を継ぐとは限りません。基本的に牧師はフリーエージェント制なので(笑)

「坊コン」後はお坊さん、牧師さん、神父さんがより親睦を深めるべく2次会「坊コン」へ。宗教を超えての楽しい交流となりました。次回は3月14日(月)葬儀社から見た供養や業界の事情について専門家にお話を伺う予定です。

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