お経の基本の「キ」
宗派を超えてお坊さんと仏教について語り合う場、寺ネットサンガの「坊コン」が、2018年2月19日(月)に日本橋のルノアール貸会議室にて開催されました。
『仏教基本の「キ」』の第3回目の今回のテーマは「お経のキホン」です。
今回も真言宗豊山派の名取さん、日蓮宗の吉田さん、浄土真宗本願寺派の松本さん、臨済宗建長寺派の藤尾さんの4名のお坊さんと進行役の供養コンシェルジュ樋口さんとで、トーク形式で進めていきます。
数万もあるといわれているお経。法要などの儀式でお坊さんがお経を唱えていますが、その意味がどんなものなのかは、仏教を勉強している人でなければなかなかわからないもの。それなら漢文を和訳して唱えてくれたら解りやすいのに!という一般の人の声もあるそうですが、果たしてお坊さんのご意見はどのようなものなのでしょう。また、各宗派によって読むお経に違いはあるのでしょうか。
〇お経とは
「実は、お経はそのすべてがお釈迦様が亡くなって何百年もたってから文字になったものと言われています。誤解されがちなのが、お経はお釈迦様がその場で書かれたものではない。ということ」と名取さん。
お釈迦様の弟子たちによって伝わっていた教えを文字が成立してから書かれたものがお経なのです。元々、サンスクリット語(古代パーリ語)で書かれていたお経は、インド周辺から東へと仏教が伝わっていく過程で、あの有名な玄奘三蔵や鳩摩羅什といったお坊さん達によって漢訳されました。日本で現在のお坊さん達が唱えているお経は、その漢訳されたものを漢語に近い音で読んでいるのだそう。
仏教は日本に伝来した後に宗派が分かれ、鎌倉時代に至ってはいくつもの宗派が生まれました。
藤尾さんは「何千何万もあるといわれるお経は、般若経だけでも600巻ほどもあります。ただ、どのお経もお釈迦様の教えなのですが、その中で、“私はこのお経が好きだからみんなに広めよう”といった想いのもとで様々な宗派が出来ただけで、どの宗派のお経もお釈迦様ひとりの教えです。ですから例えば、法華経は日蓮宗の基本経典だけれど臨済宗でも読んでいるし、天台宗でも読んでいます。他の宗派でも読まれていると思います」とお話しくださいました。
また、「お経はお釈迦様の言葉でなく、お釈迦様が考えたことや気づいたことなんです。お釈迦様が気づく前から、宇宙の真理や物事の道理というものがあって、それに気がついたのがお釈迦様なので、お釈迦様が世界を作ったわけではないし、仏教を作ったわけでもないんです。ただ、気づいただけ」との松本さんの言葉も印象的でした。
「6世紀頃に、仏教が漢語になって日本に入ってくる前は、日本には文字がなかったと言われています。そこで、仏教の経典を手本にして文字が作られたのです。だから日本語には仏教用語が多くあるのです」と藤尾さん。
また、名取さんは「お経の中には、中国で独自に作られたものもあるのです。例えば、父母恩重経や十王経などですが、これらは明らかに中国で出来たお経で偽経(ぎきょう)と呼ばれています。でも、その説かれた内容はお釈迦様の気づきを展開しているとされています」
お経には中国産のものがあったなんて驚きです。
吉田さんは「お釈迦様の悟りの本質は文字では表現できないものなのです。仏さまと仏さまの間でしか悟りの核心は伝えることができない。修行中の我々には理解できないものなので表現のしようがない。まして、文字として記録できないものなのです。ですから、悟りの世界があることを信じて、その方法論や近づく道筋を方便としてあらわしたものがお経です」とお話しくださいました。
各宗派ごとに重きを置くお経があり、お坊さん達はそれらのお経を学び、唱えることで、亡き方や儀式に集った人々と共に、お釈迦様の気づいた悟りやその神髄へ少しでも近づこうと努めているのだということが、お坊さん達のお話を伺っていてわかりました。
お坊さんとお経についてディスカッション
今回参加された皆さんからは、「お坊さんは法要などであんなに長いお経を諳んじてお唱えしているけれど、どの位のお経を覚えているの?」「なぜ、お焼香の時間が終わる丁度いい切れ目でお経を終わらせることが出来るの?」などの質問もあり、葬儀などで一般の私達が感じる素朴な疑問にもお答えいただきました。
お坊さんの多くは、何度も何度もお経を唱える中で、頭で考えなくても自然と口からお経が出てくる状態になっているのだと聞き、皆さん大変驚いていました。身体で覚えているので、自然と口から出てくるほどなのだそう。
また、「お経の意味が解らない、和訳したものを唱えないのはなぜ?」の質問には、お経の重要な部分はサンスクリット語のまま音を漢語にされていることもあるので、意味が多岐にわたる。その為、解釈も深くなっており、簡単に和訳できるものではないという意見もありました。
漢語で意味も分からずにいながらでもずっとお経を唱えていると、いつの間にか不思議な境地になっていることもあるのだとか。どのお坊さんも、そんなアハ効果を実体験したことが何度もあるのだそうです。
吉田さんは、お経を和訳することで儀式に集まる人達が儀式に参加していると感じられるのではないかとの思いから、ご自分で和訳したものを参加者に配り、意味を理解してもらいながら一緒にお経を唱える、ということを積極的にされているのだそうです。
サンガのお坊さん達はそれぞれ試行錯誤しながら、お坊さんとして出来ることを模索していらっしゃるのだなと感心してしまいました。
「お経の「経」の字は縦という意味です。元々インドの言葉は横書きなんです。それに穴を空けて糸を通して束にしたわけです。そこから経糸で繋がれた仏教の教えということで「お経」と呼ぶようになったのです」と名取さんの言葉に、皆さん「へーすごーい!」と感嘆の声が。
〇各宗派の基本経典は?
供養コンシェルジュの樋口さんからの質問に各宗派の基本経典を教えて頂きました。
・臨済宗は般若経の元となる「大般若経」と「金剛般若波羅蜜経」ですが、葬儀の際は法華経を読みますし、南無阿弥陀仏という真言のお経も読みます。
・日蓮宗は「法華経」正式名称「妙法蓮華経」です。
・浄土真宗では、浄土三部経という「大無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」です。
・真言宗(豊山派)では「大日経」と「金剛頂経」ですが、これらは読み解くもので、「理趣経」を根本経典としています。
宗派ごとに、その解釈の方法や重要視する経典に違いはあっても、共通する思いはひとつであり、お釈迦様の気づきに私達も近づくという目的は同じなのだと理解しました。
〇お坊さんへの質問コーナー
「日本人が神社仏閣やキリスト教など気にせずに受け入れているところがありますが、日本人のそういった宗教観についてはどう思うか」という質問には・・・
「八百万の神を敬うという神道の考え方が浸透している日本人の宗教観を、海外の方々は敬ってくれていると思います」と藤尾さんご自身の体験を紹介しながら答えて下さいました。
海外からのお客様を多く迎え入れている藤尾さんによると、ヨーロッパなどから座禅会に来る方の多くは、仏教をreligionとは捉えていないのだといいます。
「そもそもreligion とは“宗教”と訳されているけれど、それは間違いなんです。religionとは神様と契約して、その神様を崇拝して、その神様の言葉を守ることを意味しているのです。
しかし、仏陀は人間ですし、神の子でもないし、メッセンジャーでもない。仏教には契約も必要ないので、彼らの概念からしたら仏教はreligionではないのです。だからお経なども受け入れるわけです」というのが藤尾さんの意見です。
そんな仏教の懐の深さが、日本人の宗教観に影響しているのかもしれません。
その他、お経を読むときに声が出ないときはどうするの?毎日読むお経でも毎日違った気づきがあるものなの?世界でもお経の読み方に違いがあるの?
などなど、普段からの素朴な疑問をお坊さんにしていました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、質問も後を絶たず、結局、続きは懇親会で・・・というほど盛り上がりました。
皆さん、お経についての興味が尽きない様子でした。お坊さん方も、話がついつい深い方へ難しい方へと進んでしまうほどでした。
お経の基本の「キ」~寺ネットサンガ「坊コン」
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