江戸時代の永寿院
永寿院には、第18世慈宣院日明聖人代に鳥取藩寺社方役人との間に交わされた客殿再建願に関する文書が数通現存しています。
客殿再建願への契機の一つと考えられるのが永寿院と紀州徳川家との関わりです。
紀州徳川家は養珠院お万の方以来、篤信の日蓮宗徒でしたが、紀州家七代宗将が日蓮宗を厭うたため、江戸後期には本門寺や永寿院と疎遠になっていました。しかし、寛政10年(1798)に至って本門寺は再び紀州家の帰依を得ることになりました。
紀州家十代治寶代のとき、当時は11代将軍徳川家斉の治世で、家斉とその周辺が日蓮宗を信仰し篤く庇護したことが背景にあると考えられます。
この呼出状は永寿院住職日明聖人の筆になる包紙の既述により、2月28日に紀州藩邸で藩主に御目見した際のものであることが分かります。
(池上本門寺霊宝殿『万両塚特別展 図録』より)
永寿院の歴史
鳥取藩 養珠院