建築法話② 敷居 敷居 頭

敷居

昔の民家は、土間から出入りしていました。
出入口は木の敷居に溝をつけ、引き戸を開け閉てしていましたから、敷居が履き物で すり減らされたり、泥や砂が溝にはいり摩耗することを嫌いました。そこで、「敷居は親の」 といって、親と同じくらい大切にするよう教えたのでしょう。
しかし、今は平気で敷居を踏んでゆく親子づれも少なくありません。敷居が木から石 や金属になり、磨り減る心配がなくなったからでしょうか。
むしろ、子供に教えるべき親がその前の世代から伝えられていないことが問題でしょう。しつけといってしまえばそれまでですが、現代の大人たちは大切なもの を次の世代に受け渡す努力を怠っているような気がします。
親たちは仕事に追われ、子供たちは個室にこもり、伝える場である一家の団らんも減っています。その結果、他人のことが目に入らない、モラルを欠いた人たち が世の中を荒らしています。
また、「敷居は親の」ということばの中には何百年も生きてきた木の生まれ変わり である建物や、それを加工した職人さんなど、多くのものや人に感謝し、生かされていることを知る心も教えています。
敷居を踏まないという行為と共に、なぜそうなのか、その理由、意義まで考えた上で正しく伝え、その積み重ねの中でいか に生きるかを身につける。その基本となるものが信仰ではないでしょうか。
こんな時代だからこそ私たちの身のまわりの信仰の素を見直し、伝えていかなければなりません。まずはじめに、足元の敷居を 見つめて、後世の子供たちにを踏まれぬ親になろうではありませんか。

敷居は親の頭

敷居 頭

建築法話② 敷居敷居