建築法話⑭ 天水桶 天水桶のボウフラ 天水桶 雨水

天水桶のボウフラ

かつては町かどにも雨樋の水を引いて防火用の天水桶が置いてありました。今、都会に降る雨はほとんど生活用水として使われずに捨てられています。
しかも、アスファルトで舗装された地面には雨水が浸透しないために、身近な水源が枯れ、逆に大雨の際には一気に雨水が川に流れ込みます。
現在の都市河川は、雨水を海に捨てるための溝になってしまった感があります。

一滴の水にもいのちがあるのです。
そのいのちをいただいて、さらに多くのいのちが育まれているのです。
天から降る雨は、仏さまからの預かりものです。
一滴も無駄にすることなく生かしきって使い、感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。

お寺の本堂の正面両脇には天水桶が置かれていますが、その水を利用しないと、ボウフラがわいてしまいます。
天水桶のボウフラ」といえば「井の中の蛙大海を知らず」と同意のことわざです。
一滴の雨から、川や海のこと、ご先祖さまのこと、未来の地球のことなどに思いをめぐらせることもできるのですから、天水桶のボウフラではいられません。

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水は低きに流る

永寿院の天水桶の裏面には蛇口がついています。
天水桶に水を貯めるだけでは、せっかくの水を活かしきることができません。
天水桶の下の方に蛇口をつけると低きに流れる水の力で、結構な水圧が生じます。
自然の力だけで、便利に真夏の植木の水やりをすることができます。

「水は低きに流る」ということわざがあります。
水が低い方に流れていくように、自然のなりゆきは人の力で止めがたいことのたとえです。
これを人の生き方にたとえ「易きに流れる」と勘違いされることがありますが、水の流れのように「人生あるがままに生きる」 ということです。

雨水を活かすことを考えながら、水のようにイキイキと生きたいと思いをめぐらしました。

天水桶について

天水桶 雨水

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