市川智康先生のお話
以前、池上本門寺で学頭職をお務めの市川智康(いちかわ・ちこう)先生から法華経のお話をうかがう機会がありました。
その時のテーマは、法華経の妙音菩薩品(みょうよんぼさっぽん)第二十四から「この世のあらゆるものが法華を説いている」というものでした。
市川先生は、
「この章の主人公の妙音菩薩さまは一切浄光荘厳国(いっさいじょうこうしょうごんこく)から私たちが住む娑婆世界(しゃばせかい)にやってきて人々に法華経の教えを説いて下さっている。その方法は迷える私たちの心に少しでも寄り添おうと、人だけではなく動物や植物などいろいろに姿を変えるのです。しかも人と同様、犬や猫にも道ばたの花にもそれぞれの立場になって教えを説いているんです。
これが何を意味しているのかと言うと、私たちの身のまわりや社会そのものが法華(あらゆる命を仏に向かわせる智慧)という意味なんです。
菩薩さまのお手本は仏さまですから、仏さまはこの世のあらゆることを通して私たちみんなに何かを伝え、教えようとされているのだと受けとめましょう」
と解説されていました。
こういう場で言うのも何ですが、「あらゆることを通して」というそのお話をうかがった後、なぜか私の頭の中に思い浮かんだのはかつて見たあるVシネマ(映画)のワンシーンだったのです。
映画のワンシーン
それは極道ものの映画で、親分が子分に将棋の相手をさせているシーンでした。
将棋は相手の王将の駒を身動きできないように追い詰めれば勝ちが確定するわけですが、そんな説明をしながら親分が子分にこう聞いたんです。
「極道にとって一番大事なものは何だと思う?」
子分は少し考えてからこう言います。
「親分でしょうか。親分のためなら命もかけられますから」
しかし親分はちょっと残念そうな顔をして、こう言いました。
「それは『代紋(組のマーク)』だ。『代紋』はみんなのもの、みんなの結束の象徴だからだ。だから時には『代紋』を守るために命を張ることもあるんだ」
子分は「ほう」という顔をしながら、その言葉をかみしめていました。
それで何でこのシーンが頭の中に出てきたのかというと、
そういう映画を見ながらでも、2割くらいは私の脳みそが坊さんとして機能していたようで、「極道にとって一番大事なものは何だと思う?」の、「極道」の代わりに「私たち」と入れたらどうなるか。
「私たちにとって一番大事なものは何だと思う?」
「ご住職でしょうか。生死どころか亡くなった後も面倒をみてもらうわけですから」
「それは『法華経・お題目』だ。『法華経・お題目』はみんなのもの、仏さまや宗祖とみんなとのつながりの象徴だからだ。だから時には『法華経・お題目』を守るために(日蓮聖人をはじめ先師方は)命を張ることもあったんだ」
ちょっとした言葉遊びとは言え、私も「ほう」という顔をしながら、ぴったりきちゃったんです。
突然ですが、11月と言えば文永元年(1264)11月11日に日蓮聖人が帰郷の際、東条の郷の松原大路(現千葉県鴨川市広場付近)で、聖人と弟子信者10数人が聖人の信仰と反する地頭の東条景信(とうじょう・かげのぶ)らの襲撃を受けたのです。結局弟子と信者の2名が命を落とし、聖人ご自身も腕を折られ、眉間に刀傷を負いました。弟子信者ともども命がけで信仰を貫いていたわけです。
これを小松原法難(こまつばらほうなん)といい、聖人が「大難は四か度」と生涯に4度あった命の危険「四大法難」の1つに数えられています。
また秋になるとお寺の日蓮聖人像に綿帽子をかぶせるのは、その時の傷が寒さで痛まないようにという意味です。
教えを共有すること
さて先述の市川先生は、私に布教というのは「教えを共有するためにやるんだよ」と教えて下さったことがあります。
私はその時、布教は坊さんのつとめだからと言いながら、「共有」という言葉が見いだせないまま今までやってきたんだと、再び「ほう」という顔で気づくことができたのです。
仏さまの教えがみんなのものになれば、その先には日蓮聖人が目指した誰にとっても平和で安心、そしていきいきと生きていける社会「立正安国」が築かれるわけです。
これは私見ですが、法華経の中でお釈迦さまが「教えを弘めよ」と何度も繰り返したのは、教えを共有させることでみんなを幸福に向かわせようとしたからではないだろうか。
日蓮聖人が度重なる迫害に遭っても信仰と教えを弘めることをやめなかったのは、仏さまの教えがみんなのものだから、お題目が仏さまと私たちとのつながりの象徴だからと命をかけても伝えたかったからではないだろうか。
そう考えた時僧侶たるもの一番大事なことは、「1人でも多くの方々とお題目をご縁に教えの共有を目指していくことに違いない」と、三たび「ほう」という顔でやっと自分の努力目標がはっきりと言葉になったんです。
そんなことで、極道ものの映画も法華を説いているのかという答えは読者の皆さまのご判断にお任せしたいと思いますが、気づく点があったということで全く無意味ではなかったと感じてはいます。
皆さんも普段の暮らしの中で、「みんなのもの」をキーワードに言葉遊びをしてみてはいかがでしょう。仏さまはあらゆることを通して私たちに法華を説いて下さっているそうです。仏さまの智慧を1つでも2つでもいただけるかも知れません。
それにしても、
市川先生のお話からいろいろ学ばせていただいたのに、他に思い出すことはなかったのだろうか。よくよく考えなくても不敬この上ないことだ。
これも今年の秋の反省にしたいと思います。
写真は、小松原法難の場所に建てられた日蓮宗本山鏡忍寺(きょうにんじ)。寺名はその時日蓮聖人を守ろうとして討死した弟子の鏡忍房からとられた。
境内にはこの地を訪れた正岡子規の句碑や、当地出身の木彫職人で波を彫らせたら関東一とうたわれた「波の伊八」作の彫刻などが飾られている。ちなみに初代伊八の波の彫り物は葛飾北斎が浮世絵に活用したと伝えられている。鴨川市広場1413
あらゆることが法華を説くこと
法華 みんなのもの