そもそも仏像は
これからの季節、日常の喧噪を離れて心穏やかにお寺巡りというのもいいかもしれません。
お寺に参拝すると、まず建物からしてそこが聖地ならではの異空間であることを感じます。そしてご本尊にお詣りするわけですが、古刹や大きなお寺ともなるとたくさんの人がやってくるので、さぞかしご本尊さまは人数分の祈りや願いを受け止めるのに忙しいんだろうなと思います。
ご本尊と言えば、まず思い浮かぶのは仏像ですが、これには色々な種類があります。お釈迦さま、阿弥陀如来、薬師如来をはじめ、弥勒菩薩や観音さま、帝釈天やら阿修羅、はたまた宗祖である伝教大師や日蓮聖人などなどさまざまな像が「仏像」と称されています。
しかし仏像というからには、仏さまの像でなければおかしいと思われる方もいらっしゃることでしょう。
そこで用のない時には枕にちょうどいい『広辞苑』(ほとんど辞書として使っていますが)を開いてみると、「物騒」の次に仏像がありました。このあと何が起こるというのでしょうか。
「仏像」―仏教の礼拝の対象として造られた仏の彫像・画像。仏陀以外の菩薩・明王・諸天にもいう―
言い換えれば、仏教で信仰の対象となる像なら何でも仏像になり得るようです。ただしその中でも仏さまだけに使える呼び名は如来像と言います。
今回はこの如来像という仏像についてご一緒に考えていきたいと思います。とは言えこの仏像、最初から像であったわけではありません。たとえば、
・法輪…この輪とはもともと古代インドの丸い手裏剣のような武器ですが、お釈迦さまの法(=教え)の輪で人々の曲がった心を打ち砕いていく様子を象徴したもの。
・仏足石…お釈迦さまの両足をかたどったもの。
・菩提樹…お釈迦さまがお覚りを開いたところ。
など、どれも仏像が作られる前、お釈迦さまはこのように象徴的に表現されていました。なぜでしょうか。
これを理解するのに、まず現在のインドの様子を見てみましょう。インドでは、人は亡くなると天界に行くと信じられています。そして天界に行くには生前の痕跡を残さないという条件があります。例えば火葬の写真を撮ることは禁止されています。こういうことですら生前の痕跡を残すこととなり、いつまでも魂をこの世に引きとめて天界に行けなくなる原因になると信じられているからです。死者の痕跡を残さないというのが古来大事なこととされているわけです。
さらに古来インドでは六道輪廻(ろくどうりんね)が説かれています。これはたくさんの煩悩を背負っている私たちは、生前の生き方に応じて死後に地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天といった六道という六つの迷いの世界を巡って再び生まれてくる、あるいは自分の心が迷いによって六道を巡ることになり、いつまでたっても成長できずにそこから抜け出せないという意味です。
一方インドに生まれたお釈迦さまは、修行を完成させた最高位の聖者(=阿羅漢・あらかん)となったため、輪廻の束縛から抜け出た存在となられました。これを解脱(げだつ)と言います。こういったことからお釈迦さまの像を作ることは、生前の痕跡を残してこの世につなぎ止める、すなわち修行の完成を台無しにしてしまうと考えられたのです。
それで亡きお釈迦さまのお姿ではなく、生前の行いの象徴として仏足石などが彫られるようになったわけです。
仏像誕生の背景と大乗仏教
お釈迦さまは35歳で覚りを開き80歳でご入滅されるまで、誰彼いっさいの区別なく教えを説くことに専念されました。そのお釈迦さまがご入滅された時、人々はそのご遺徳を偲ぶ余り、火葬の後ご遺骨を8つに分け、それらを納める仏塔を建てたのです。人々はこの仏塔に祈りを捧げて供養礼拝することによって、いつまでもお釈迦さまのお心に触れようとしたのです。ちなみにこの仏塔は時代を経て形を変え、お寺のお堂や五重塔になったり、ご先祖が眠るお墓、あるいは卒塔婆になったりしています。
さらにその後数百年の間、インドのアショーカ王などの手により、仏塔の数は増えていきました。こうしているうちに仏教に大きな変化が生まれます。
そのころの出家者たちは、お釈迦さまが遺された教えを守り修行に励んでいました。しかし次第にその教えは出家者たちのそれぞれの考えによっていくつもの解釈がなされるようになり、解釈ごとの流派に別れるようになっていきます。また教え自体、出家者の修行を完成させるためのものとなっていたようです(これを部派仏教・上座部仏教といいます。困難な修行を完成させた者だけが最高位の聖者に至るという意味で、かつて小さな乗り物、小乗仏教と呼ばれていました)。しかしその中からも、時代に合わなくなった戒律に異を唱え、もっと幅広い教えの解釈を求める出家修行者が出てきました。
また出家者に供養をするというのはお釈迦さまの教えとしてありましたので、多くの出家ではない在家(ざいけ)の人々は、それによってお釈迦さまとのつながりを保っていましたが、同時に自ら仏塔に足を運んで礼拝することがお釈迦さまとのつながりを強くする、信仰を深める手だてとなっていきました。
このような背景のもと、次第に旧来の厳格な修行の完成を目標とした出家修行者のための仏教に満足しなくなった人々の手によって、お釈迦さまの徳をたたえようと、仏塔にさまざまな装飾やお釈迦さまを象徴するものが刻まれるようになりました。
さらにこのような人々は、お釈迦さまの本心は限られた人々ではなく、みんなそろって救われることに違いないと、仏教を旧来の教えから発展させていったのです。これが大きな乗り物、大乗仏教の始まりです。
法華経・如来寿量品第十六の自我偈に
柔和質直者 則皆見我身 在此而説法~親切で心穏やかな人には、皆私がここにいて教えを説いているのを見るだろう。
とあるように、大乗の修行者たちは、それまでの仏教を土台としながら、深く山林に入り瞑想してお釈迦さまのお心に近づこうと励み、そこで出会った多くのよろこびにあふれる教えを現実の暮らしの現場で実践し、得られた実感をたくさんの人々に聴かせることで、より多くの人々が仏さまの声を聴くことになりました。これが後に『法華経』をはじめとする大乗経典になっていったのです。
さらに大乗の人々はもっと信仰を深めてお釈迦さまのお心に近づこうと、それまでの仏教では考えられなかった、具体的な礼拝の対象を求めるようになります。
次回は仏像の誕生にせまってみたいと思います。(つづく)
仏像について
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