仏像の誕生
法華経の自我偈には
衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心~人々は私(お釈迦さま)の肉体が滅びると、遺骨にさまざまな供養を施した。 心から教えを聴くことを望んだ。
とあります。こういう仏さまに再びお会いしたいという心境が、目で見える具体的な信仰の対象を望むことにつながっていったようです。
そもそもお釈迦さまは、ご自身の入滅後は教えそのものを大事にしなさいとおっしゃいました。またお釈迦さまご自身を神格化したり、偶像崇拝をしたりすることも禁じたと言われています。
しかしご入滅後4、500年経った1世紀から2世紀にかけて、インドの北中部のマトゥラーと現在のパキスタンの北部にあるガンダーラというところで、仏像が作られるようになります。人々の考え方にどんな変化があったのでしょう。
冒頭に、仏さまだけに使える呼び名は如来像と言いました。実はこの「如来」の解釈に注目すると、少しずつ分かるようになっていきます。
仏さまの称号には如来をはじめ、覚った者という「仏」、世間でもっとも尊ばれる存在「世尊」など十種類あり、どれも仏さまの性質を表す言葉でもあります。中でも如来は「真理の世界から命あるものを救うためにやって来た存在」という意味になります。
ちなみに仏教で真理といえば仏さまのお覚り、あるいは覚った内容のことです。そして私たちの生き方にそって、お覚りの内容が言葉になったのが法や仏法と呼ばれ、経典に書かれてある教えを指します。
部派仏教の伝統的なものの見方では、お釈迦さまはインドに生まれて修行を完成させた「人間」であり、入滅に際しこの世を含めた六道の世界から解脱して〈出て行かれた〉のだから痕跡を残して引き留めてはならないというのは、前にお話ししました。
一方、仏像を作ろうと試みた大乗仏教の人々の見方は、お釈迦さまは覚りを得たことで「如来」の称号を得た、すなわち人々を救うために〈やって来られた〉存在となった。ですからお釈迦さまの像ではなく「如来を象徴する像」なら、作っても従来の禁止事項には当てはまらないという解釈が生まれたのです。
如来とは仏さまの称号、役割、性質を表す言葉ですから、眼に見える形はありません。例えば世の中には色々な食べ物があり、「おいしい」と評されるものがたくさんありますが、おいしいという言葉には形はありません。ただ一例を挙げれば、カレーライスという目に見える食べ物を通しておいしいという言葉の意味を表現することは可能でしょう。同様に、目に見えない如来を礼拝に適した形として表現するのに、この世で如来となられたお釈迦さまを如来の一例ととらえて、釈迦如来像が作られたのです。
これがお釈迦さまをかたどった如来像=釈迦如来像、ひいては仏像が誕生した理由です。
こういう解釈のもと、マトゥラーやガンダーラという地域で始まった仏像作りは、次第にあらゆる仏教徒のいるところへと広がりを見せていきました。
仏像との向き合い方
もっとも、いつの世でも急激な変化は大きな混乱を招きます。釈迦如来像を作るということは、当時の人々にとっては革命的なことであったため、まずは菩薩像として拝まれて人々の認知を得ながら、実は如来像であることが明らかにされていったそうです。菩薩が修行を完成させて如来=仏さまとなるわけですから、こういう手順にならったのかも知れません。
概して私たちは自分勝手に生きるより、他人さまの役に立つ方が難しいものです。たしかに役に立ってお礼を言われるのは嬉しいものですが、いざ誰かの役に立とうと思って努力しても、現実にはたいしたことはできなかったというのもよくあることです。
しかしあらゆる仏さまは、他人さまの役に立つことで自分自身を成長させていきなさいとおっしゃっています。好き勝手して自分を喜ばせるより、少しでも他人さまの役に立てる人間となるところに、私たちの人格の成長があるのだということです。これが大乗仏教の基本となる菩薩行という仏教徒の生き方で、そのために仏さまはいろいろな教えを説いておられるわけです。
仏教にはたくさんの菩薩さまがいらっしゃいます。そして人の悩みや苦しみ、その度合いというのは千差万別です。菩薩像とはそれぞれの菩薩さまとそのお姿を通して、私たちが具体的に他人さまの役に立つ菩薩行の有りようを象徴し、何かしらのヒントを与えてくれるものです。
宗祖の像も同様です。たとえば日蓮聖人像とは、在りし日のお姿を再現したのみならず、命がけで法華経を弘められたご一生と説かれた教えを象徴するために日蓮聖人のお姿をかたどって作られたものです。それで私たちは宗祖の像に礼拝することでそのお人柄や教え、またその先にある仏さまのお心に近づくことができるというわけです。
こうして事の次第を見ていくと、仏像がお釈迦さまなどのご自身をあがめたり、偶像を崇拝したりするためのものではなく、仏さまのお心に触れ、教えをいただこうとする信仰心を正しく深めるための手段として作られたことが分かってきます。
次回は身近な視点で仏像を観てみたいと思います。(つづく)
仏像について
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