お月見によせて 十五夜とは 十五夜 月天子

十五夜とは

今年(2014年)の十五夜は9月8日(月)です。

この日の月は中秋の名月と呼ばれ、人々を魅了しています。
秋草や虫の声、涼風など秋の風物のたたずまいが、いっそう月を演出しているかのようです。

十五夜に月を愛でる風俗は平安時代に中国から伝わったようですが、「旧暦の8月15日の夜。旧暦の秋(7~9月)の最中(秋の真ん中の8月のちょうど真ん中)に当たるから中秋といい、また月に芋を供えるので芋名月という。古来観月(かんげつ=月を観賞すること)の好時節とされ、月下に宴(うたげ)を張り、詩歌を詠じ、民間では月見団子・芋・枝豆・栗などを盛り、神酒(みき)を供え、芒(すすき)・秋草の花を盛って月を祭った」『広辞苑』より。

英語では十五夜の月をハーベスト・ムーン(harvest moon)と言って収穫の月を意味し、作物の収穫を祝うそうです。
日本でも十五夜には里芋など、その時季の野菜やお団子をお供えして豊作を祈りますから、国は違っても同じような思いで月を眺めているようです。

また十五夜は、月の満ち欠けがこの世での命の誕生から死にいたるまでの過程と再生の繰り返しを象徴する、つまりご先祖から今に受け継がれている私の命を感じて、月を通して先祖に感謝する行事でもあります。他にも月は星とともに方角や季節の変化の目安となったり、あるいは吉凶を示したり、天変地異をつかさどる神さまとして畏敬の念をもってあがめられてきました。

おおむね十五夜とはこのような年中行事で、お寺でも月に向かって感謝し、気候のバランス、五穀豊穣や草木の生育をお祈りします。

お月見によせて 十五夜とは 十五夜 月天子

仏教では月天子

仏教では、月を月天子(がってんじ)と言い、日天子(にってんじ=太陽)、明星天子(みょうじょうてんじ=金星)とともに、この3つは三光天子(さんこうてんじ)と呼ばれ、空から見守る守護神の代表とされています。

またお経の中で月はたとえ話にも活用されています。一例を挙げれば、法華経「薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第二十三」には、

衆星(しゅせい)の中に月天子最も為(こ)れ第一なるが如く、此の法華経も亦(また)復(また)是(かく)の如し。千万億種の諸経法(きょうぼう)の中において最も為れ照明(しょうみょう)なり。
~たくさんの星々の中でも月天子が一番明るく夜空を照らしているように、法華経の教えはあらゆるお経の中で説かれている大小千万億の教えの中でも、最も世間の暗闇を明るく照らすものである。

と、月で仏さまの教えの浅い深いがたとえられています。他にも法華経には、宝月(ほうがち)菩薩、満月(まんがち)菩薩、月光(がっこう)菩薩、名月天子(みょうがってんじ)、日月燈明(にちがつとうみょう)如来といった月が含まれる名前が登場します。

その名月天子は日蓮聖人のご遺文『種種御振舞御書(しゅじゅおんふるまいごしょ)』の中にも登場しています。

九月十三日の夜なれば月大(おお)いにはれてありしに、夜中に大庭に立ち出でて、月に向ひ奉りて自我偈少々よみ奉り…、抑(そもそ)も今の月天は法華経の御座に列(つらな)りまします名月天子ぞかし…。
~九月十三日の夜(十三夜)なので月が大いに晴れ晴れと輝いていており、(連れてこられた本間六郎左衛門邸の)大庭に出て、月に向かって自我偈をお読みした…。目の前の月は、法華経の会座(えざ=お説法の場)に並んでおられた名月天子に違いない…。

これは、文永八年(1271)9月12日に起こった四大法難の1つ、龍口法難(りゅうこう・たつのくち ほうなん)の時のご遺文です。この日、法華経信仰の推奨と諸宗批判が鎌倉幕府の政策の批判になったという理由で鎌倉の草庵で捕らえられた日蓮聖人は、日付が変わった午前2時頃土牢(つちろう)から引き出され、龍ノ口の刑場で斬首されそうになったものの、江ノ島の空から「光りもの」が舞い降り、これに恐れおののいた執行人は急きょ刑を取りやめ、依智(えち)の本間六郎左衛門の邸にたどり着いたと伝えられています。
これを日蓮聖人は、法華経に示されている通りの月天子のご守護と受けとめられました。

お月見によせて 十五夜とは 十五夜 月天子

名月に向かって

今回はお月見によせて月、月天子についてお話ししましたが、見慣れているとはいえこの日ばかりは、心地いいやわらかな光を放つ名月に向かって「いつも見守っていてくださってありがとうございます」とお祈りするのもいいでしょうし、月明かりに自然の神秘やロマンチックな雰囲気にひたったり、ウサギをさがしたり、灯りが無かった時代の人々の想いを想像したりするのもいいでしょう。
ぜひ、十五夜は灯りを消して月の光を浴びるひとときを過ごしてはいかがでしょうか。

いつもの月見うどんでさえ、ひと味もふた味も変わるかもしれません。私は月見そばにしようと思います。

最後にこの名月を見そこねても、翌日には十六夜(いざよい)、翌月には十五夜に次いで美しいとされる十三夜(旧暦の9月13日・今年は10月6日)があり、十五夜に劣らないお月さまが見られ、本来は十五夜と十三夜の2つはセットになっていたそうです。

また十五夜と十三夜の名月は、雨が降れば雨月(うづき)、曇りだったら無月(むづき)と呼ばれ、先人たちは見えなくても夜空にあることを感じて風情を楽しんできました。



写真は上から、十五夜の月、日蓮聖人が囚われていたと伝わる土牢(本山龍口寺)、秋草のひとつススキ

十五夜、月について

十五夜 月天子

お月見によせて十五夜とは