第10期 第7回 池上市民大学体験記 仏教のお話 池上 市民大学

仏教のお話

平成28年4月16日(土)、第10期 第7回の池上市民大学
まずは岡本先生の仏教のお話。

今回は、第4回の講義でお話してくださった、『釈尊一代記 ~成道からご入滅まで』の続きです。

前回では、お釈迦さまが6年間の様々な苦行に耐え、ブッダガヤの地でお悟りを得られ、この世に仏教が誕生したまでのお話で、今回はお釈迦さまがご入滅されるまでのお話です。

お釈迦さまがお悟りを得られた後、霊鷲山の山頂の香堂にて、阿含(あごん)経や浄土経、また晩年の8年間にわたって法華経の説法が行なわれました。

教えを説く方針や教えを説く理由、またお釈迦さまの約束等、法華経のお自我偈の中に説かれています。

その後、80歳になったお釈迦さまは、法華経を説き終え、霊鷲山を下り、西へと最後の伝道の旅に出ます。

ここで何故、お釈迦さまは西の地へ向かったのでしょうか?
諸説は様々あるようですが、霊鷲山のあるラージギルから西の方角は、お釈迦さまのお生まれになった地『プピラハワ』と、お釈迦さまの母『摩耶夫人』のお墓があり、自分の命が残り僅かと悟ったお釈迦さまは、故郷と母・摩耶夫人を思ってその地へ向かったのではないかとお話してくださいました。

その旅の途中、クシナガラの地で最後のお説法を説き、満80歳でお釈迦さまはご入滅されました。

お釈迦さまは最後、弟子たちに『最後に聴きたい事はないか?』と、三度問います。
弟子たちが無言で見守る中、安心してその生涯を終えたのです。

お釈迦さまは、最後まで弟子たちの事を思い、『生涯現役』のご生涯でした。


そして、時はくだり、お釈迦さまがご入滅された日から1605年と1日後、1222年2月16日に、日蓮聖人がご誕生されました。
日蓮聖人はお釈迦さまについてこのようにお話しています。

『釈尊出家の本懐は人の振る舞いにて候けるぞ』(日蓮聖人『崇峻天皇御書』より)
これは、『人としての振る舞いを教えるために、お釈迦さまは出家されたのだ』と記されています。

成道からご入滅までのお釈迦さまの一代記を振り返り、あらゆるものを正しく見る事や、ありのままのものをありのままに見て正しく考える事、『正見(しょうけん)』『正思(しょうし)』を説き、私利私欲で動かない人との付き合い方を正してくれたのではないでしょうか。



第10期 第7回 池上市民大学体験記 仏教のお話 池上 市民大学

防災について

次に小野先生による防災のお話です。
近年、日本では大きな地震による災害が立て続けに起きましたが、日本だけではなく地球規模で地震による災害が多くなってきています。
これは、地球そのものが活動期に入っているのではないかと考えられるそうです。

地震はいつ、どこで、どれくらいの規模でなど、予測がつかない災害です。
その大きな災害に備えるために何を準備したらよいかをお話していただきました。

いざ災害に備える為の準備をするとなっても、まず何を準備したら良いのかわからない!
備えあれば憂いなし!・・・と言っても、本当に必要なものってなんだろう?

そのようなことが無いように、はじめに防災に関するチェックリストを配っていただきました。
このチェックリストは、阪神・淡路大震災の後に作られたもので、常時携帯するものや、自宅に備えるもの等、項目ごとにチェックする事ができます。

その中で、注意する事は、常時携帯する物は多すぎないこと!
普段持ち歩く鞄に入る程度の袋等に、アメやウェットティッシュ、ホイッスル、ライト等、緊急時に必要最低限のものを常に持ち歩くことが重要です。

これは、『自分が助かる事ができなければ、人を助ける事』ができません。
小野先生から今回聞いたお話は、即実践しようと思います!


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グループワークと本日の霊宝殿

今期の池上市民大学は10周年。
10周年の記念に池上市民大学ではいろいろな企画を立てています。

今回は本格的に企画を実現するために、3つの企画グループにわかれました。
これからは、このグループごとに意見を出し合い、市民大学の10周年を大いに盛り上げるよう、実現に向けて頑張りたいと思います!

最後に、安藤先生のお話を霊宝殿でお聞きしました。
今回の展示で一番目を引いたのは、狩野永徳の『源平合戦図屏風』です。
実はこの屏風、担任の吉田先生の自坊、永寿院からの出展です。
屋島と一ノ谷の合戦が描かれた、何とも迫力のある屏風でした。

※詳しくはこちらの記事もご覧ください。
http://www.eijuin.jp/News/view/1/331

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