どんな葬儀をしたいか?
ほとんどのエンディングノートには「自分の葬儀をどうしたいか?」について書く欄があります。そして、「家族だけで」とか、「葬儀は要らない」とまでいう人も出てきました。
自分らしい葬儀をするために、主役である自分の意思が反映されないのはおかしい。「そのとき」そこに自分はいない。だから詳細に書き残したくなる気持ちもわかります。逆に、言い残しておいたことが、かえって遺族の足かせになることもあり得ます。身内に金銭的・時間的・精神的な負担をかけてまで、葬儀をする必要があるのかと考える方もあるかもしれません。
でも、葬儀は自分のためだけにするものではありません。今まで生きてきた社会に対するけじめ、親しい方へのお別れ、遺された人が悼む場所、仏の世界へのあいさつ等々、色々な意味があると思います。
災害被災地では、「せめて心のこもった葬儀をして送りたい」「死亡が確認できるまでは葬儀をしたくない」など、遺された人たちにとって葬儀がどれだけ大切だったかが伝えられました。「葬儀は要らない」という風潮から、「葬儀をできない」という被災地の状況がクローズアップされることによって、葬儀の意義が見直されています。
まずは、「そのとき」の自分の気持ちと遺された人たちの思いを想像して、どんな葬儀をしたいのかを考えてみましょう。
お棺の中で思うこと
私は葬儀で引導を渡すとき、お棺の中の故人に「法華経とお題目で送るから大丈夫ですよ。安心してくださいね」と語りかけています。温泉につかって背中を流すように、それこそ浮世の塵を洗い流すような心地よさを味わっていただこうとお題目をお唱えしています。
私が死んだときも、檀家さんや僧侶の仲間が集まってお題目を唱えてくれるでしょう。その時私はお棺の中で、文字通り「天にも昇る気持ち」になっていると思います。それを法悦(エクスタシー)というのでしょう。
だから私は細かいことはともかく、とにかくみんなにお題目を唱えて欲しいとだけ書き残したいと思います。そして、気持ちよくお題目を唱えて送ってもらえるような一生を過ごしたいと思います。
それでは、まんだらエンディングノート②「お棺の中で何を思う?」あなたが今思っていることを綴って下さい。私は前述のとおり「天にも昇る気持ち」と書きます。
〈記入欄〉
まんだらエンディングノート②「お棺の中で何を思う?」
視点が変わると考え方も変わると思います。人生の節目ごとに考えてみるのもいいかもしれません。
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