アメリカで「おかげさま」の大切さを感じる
本日の池上市民大学第1時限目。
アメリカ・シアトルで、2002年から08年まで海外布教をなさっていた三友正法先生のお話です。
アメリカで生活する中で、三友先生は日本人の「おかげさま」の心の大切さをあらためて感じたそうです。
アメリカでは「おかげさま」という考えが無く、それを表す言葉もないそうです。
日本では、例えばスポーツ競技で一位になった時、私たちが「おかげさまで」と言う場合は、コーチをしてくださった先生、応援してくれた家族、支えてくれた友人など、自分の周囲の人々への感謝の気持ちがあります。
ところが、アメリカでは「一位になれたのは、自分が頑張ったから」となるそうです。
三友先生は「おかげさま」を英語で説明し、アメリカの方々に理解してもらうのが難しいと言います。
最近では、相手のために何か行動をして「自分が評価されない」と愚痴をこぼし、「自分が、自分が」という感覚が日本人の中にも多くみられる、と先生は言います。
支え合って生きている私たち。支える相手がいるからこそ、自分があります。
大切にしたいのは「我」ではなく、「無我」。
相手のために、と思って行動したことが、自分の身に良い結果としてかえってきた時、そんな時に出てくる言葉が「おかげさま」なのです。
「おかげさま」の他、「いただきます」「ごちそうさま」などの言葉も英語で説明しづらい日本語。
見えないものに対する感謝の気持ちを表す、という感覚がアメリカの方々にとっては理解するのが難しいようです。
その他には、文化の違いとして、アメリカではお通夜がない、お焼香で火傷しそうになった方など、興味深いお話も伺いました。
最後に、受講生から「アメリカでは、お題目はどうやって唱えるのですか」という質問が出ました。
お題目は、ローマ字表記で、日本と同じように唱えるそう。ただ、開経偈、回向文は英語に訳して唱えるところもあるそうです。
身近なところから考える環境問題
休憩を挟み、2時限目は環境カウンセラーの小野紀之先生のお話です。
○1秒が1年を破壊する
地球誕生から現在までを、一年間に置き換えた表が配られました。
地球が誕生してからおよそ46億年、人類の起源であるホモ・サピエンス誕生は概説によるとおよそ15万年前、これを一年に置き換えると、12月31日午後11時37分。現在の私たちまで、人類はまだ23分しか存在していないことになります。
地球の環境は長い年月の中で、ゆっくりと変化してきました。
ところが人類が誕生したことにより、産業革命を経て、石炭・石油等の化石燃料を燃やすことによって、二酸化炭素が急激に増え、地球環境のゆるやかな変化が急激になってしまったのです。
産業革命は、1年間の表では12月31日午後11時59分58秒(ほとんど59秒に近いといわれています)。
わずか1秒で、地球の環境が破壊されているのです。
これまで生物たちはゆるやかな環境の変化の中で、徐々に体を進化させて環境に対応してきたものが、急激な環境の変化に生物がついていけなくなっているのが現状。
今、「環境問題」を真剣に考え、その問題を早急に解決していくことが迫られています。
○身近な自然に興味を持とう!
配られた資料に、すずめの絵があります。体の模様はありません。
「それではすずめの体の模様を描いてください」と小野先生。
さて、すずめってどんな体でしたっけ? 茶色くって、目がクリッっとして、お腹が白かったような…。
あらためて絵に描こうとすると、すずめのイメージがどんどん遠のいていきます。
小野先生が、この実験を幼稚園生から80歳くらいの大人まで試したところ、幼稚園生から小学校低学年くらいの子どもたちが比較的よく描けるそう。
大人はすぐにすずめを認識します。ところが「ああ、すずめだ」と思って、さらに観察しようとする人は少ないのです。
幼い子どもたちは、「あの鳥はなんだろう」と、よく観察しているので、すずめの絵を描くことができます。
このように、知り尽くしていると勘違いしていることはたくさんあって、実は私たちの生活の周りには、まだ知らないこと、わからないことがたくさんあります。
現代の私たちは、約8割を目からの情報に頼って生きています。特にインターネットやテレビなど、実際に目の前にしていない情報から、知識を得ている場合が多いのです。
自然を感じるには、五感を使うことが大切。
先生は、過去に行った実験を例に挙げて説明します。
草刈りをしていると、ちょっとにおいが気になる草、ドクダミ。その香りを好きという方はあまりいないかと思います。
実験では、ドクダミを中身が見えないよう袋に入れ、被験者に香りを嗅いでもらうと、ドクダミの香りとわからない被験者がほとんどで、「薬のような匂い」と感想を言う人が多かったそう。しかし事前に「ドクダミの香りは?」ときくと、多くの人が「臭い」と答えていたのです。
知っているようで知らないことを、まずは「気づく」ことが大切だと先生はおっしゃいました。
今月の霊宝殿「万両塚展」
今月の霊宝殿は先月に引き続き、特別展「万両塚 芳心院と池上本門寺」。
お題目三唱をいたしますと、学芸員の安藤昌就さんより説明を伺います。
先月ご説明頂いた「芳心院造立日蓮聖人坐像」(茅ヶ崎妙行寺蔵)に、安藤さんがライトを当てます。
先月は御尊像の中に、芳心院様が書かれた334遍のお題目と、侍女たちの法名と唱えたお題目の回数を記録した巻物が入っているというお話を伺いましたが、今回は御尊像の装飾に注目。
衣の部分をよく見ますと、ライトの光に当たって細かな装飾が浮き上がって見えます。
盛り上げ彩色した後、さらに金を塗ったものだそうで、その技法や装飾の細やかさから、おそらく京都の仏師によるものだろうと安藤さんは言います。
厨子の扉部分に、この御尊像の色がたとえ色褪せても塗り直していけないと書かれています。
そのわけは、このような見事な装飾が再びなされるはずはないという意味で、現在は全体が黒くくすんだような色合いですが、当時はそれほど美しく繊細な装飾がなされていたようです。
次に、芳心院様のお付き人のトップであった藤衛さんという女性についての説明を伺います。
万両塚傍らにお墓のある藤衛さんは、鳥取藩史料の中では「藤江」と表記があり、芳心院様が非常にかわいがっていた女中。芳心院様がお亡くなりになる半年前、宝永5年(1708)に没しました。
特に藤衛さんが亡くなる前、後任役が2人に引き継がれたことで、2人分の役目を1人でこなしていたということが想像され、芳心院様の信頼も厚かったようです。
その他、財政の苦しかった鳥取藩で、芳心院様の思し召しで人事が決まった話や、芳心院様が時の5代将軍綱吉公に個別に呼び出され、「御身大切に」とのお言葉、また贈り物を賜ったエピソードを拝聴しました。
これらのお話は、芳心院様が当時「徳川家康の孫」ということで、社会的影響力の強さを物語っています。
○おわりに
今回の霊宝殿では、藤衛さんのお話が印象深く、どんな女性だったのだろうと想像してしまいました。
自分は表に出ることなく、ずっと影で主である芳心院様を支え続けてきたこと。
また、芳心院様も、その藤衛さんを大切に思っていたこと。
今日の1時限目の話につながるように、「おかげさま」の心がしっかりとお二人の間につながれていたのでしょう。
現代を生きる私たちも、このように「おかげさま」の心でしっかりつながりの輪を保っていきたいと思うのです。
外へ出ますと、すでに境内は薄暗く、明るい月がすでに五重塔の上に昇っていました。
年の瀬が近づいていることをひしひしと感じます。
第7期 2回池上市民大学体験記について
池上市民大学 環境