仏教の話「仏教を学ぶには」
1時限目は池上市民大学、副担任の岡本亮伸先生のお話です。
12月8日はお釈迦さまがお悟りを得られた日で、成道の日として知られています。
実はお釈迦さまが出家なさった日も同じく12月8日であることは、あまり知られていません。
岡本先生から、お釈迦さまの生涯について簡単な説明を伺いました。
お釈迦さまは紀元前463年4月8日に、浄飯王の息子として生まれました。29歳の時、お住まいのカピラヴァストゥ城から外出された際、東門に老人を、南門に病人を、西門に死者をご覧になり、生老病死の苦を嘆きます。そして北門に心おだやかな出家者の姿を発見し、ご自身も出家者になることをご決心されたのでした。
6年間、苦行を行いましたが悟りを得られず、35歳の時に疲れ果てていたところを村娘スジャータの乳粥によって元気を取り戻し、菩提樹の下で7日間瞑想し、成道(悟りを得る)なさいます。
その後、伝道に力を注いで80歳でご入滅なさいました。
こうして今から約2400年前にお釈迦さまが伝道なさった仏教の教えが、私たちに伝わっていることは不思議でもあり、驚きを感じます。
お釈迦さまの教えの中から、現在の私たちが学ぶことは何なのでしょう。そして学んだことを、どう実践していったらよいのでしょう。
「縁起」という言葉があります。物事や生きとし生けるものは、時間も空間も越えて、すべて「縁」でつながっているという考え方です。
私たちは普段の生活の中で、自分の都合の悪いことは見ないふりをすることがあります。物事の本質から目を逸らし、「何かのせい」にすることで安心してしまいがちです。
「正見」という言葉があります。物事を正しく見るという意味で、物事をありのままに受け入れることです。
池上市民大学で環境問題を学ぶこともその一例であり、環境問題が深刻になっている原因は、人間が生活の豊かさを求め続けた結果である、ということを素直に受け入れることが大事です。
かつて日本には八百万(やおよろず)の神々がいるとされ、自然に畏敬の念を抱き、いかに自然と人間が共存していくかということを考えながら暮らしてきました。自然という大きな命の中に人の命を考えた時、かつての日本人は「命の大切さ」を、自分たちだけではなく自然の中にも感じていたのでしょう。
自然を疎かにするということは、人の命を疎かにすることにもなりかねません。
最後に、岡本先生は法華経『薬草喩品第五』から、「常行慈悲 自知作仏」という言葉をお引きになりました。
「常に慈悲のこころを土台にして行動する。そうすれば、成長の実感が得られる」という意味です。
私たちが普段から親切なこころを抱いて行動していれば、いざ親切にしたい人、苦しんでいる人が現れた時に力を発揮するものです。
また、自分が親切な心を抱いて生きていたなら、安心して人の親切に頼ることもできるのではないでしょうか。
それが人の縁となってつながり、「無縁社会」などという悲しい現実に打ち克つ力にもなり得るのです。
池上ジオラマ作り!
2時限目はクラス担任の吉田尚英先生と「池上ジオラマ作り」に挑戦です。
まずは机に広げられた大きな池上の地図を囲んで、池上の地がどのような変遷で現在の形になったのかを伺います。
地図上に示された池上の地は、多くの川に囲まれるように存在していることがわかります。
はるか遠い昔は呑川から南は海が広がり、池上のあたりは海からすぐの高台になっていたそうです。
見晴しが良く、高い台地の上には現在も一部残っているように古墳群が連なります。弥生時代には大きな集落があったと考えられ、永寿院では保存された弥生住居跡を見ることもできます。
こうして長い年月の間に、海が陸地になったり、台地に土が積もって地形が変わったりと、地球も生きているのだな、としみじみと感じられます。
池上本門寺は、現在の本門寺敷地の西側にある大坊本行寺付近から鎌倉時代に発祥し、その後江戸時代に高台の上に徐々広がっていったものだそうです。
池上の土地の歴史について学んだところで、いよいよ池上ジオラマ作りが始まりました!
池上本門寺の地図の上に、各自持参したハサミを駆使し、等高線状に切り取った土地を貼り付けます。
工作は久しぶりという方も多かったのではないでしょうか。各テーブルでは楽しそうに笑い声もあがっています。
池上ジオラマはA4サイズなので持ち運びにも便利!
ジオラマを見ながら池上本門寺を散策したり、他の方に本門寺について説明する際にも使えます。
紐で吊るして、家の壁にインテリアとして飾るのにも良さそうです。
霊宝殿
今回の霊宝殿では、日蓮聖人ご真蹟などを拝観いたしました。
学芸員の安藤昌就さんよりお話を伺います。
日蓮聖人のご真蹟は数が多いため、年号が記されていないお手紙も、その内容や筆跡から、ある程度お手紙を書かれた時期が特定されるそうです。
文永11年(1274)の『富木尼御前御返事』(ときあまごぜんごへんじ)一幅は、日蓮聖人の古くからの檀越であった、中山門流の開祖である富木常忍の夫人に返信なさったものです。短いお手紙の中には、「鵞目一貫」という文字が見え、夫人から供養の品と銭が送られたことがわかります。
中心に穴の開いた銭は「鵞目」と呼ばれたそうで、「一貫」はよく時代劇で目にする銭の穴に紐を通したものです。
弘安4年(1281)の『御所御返事』(ごしょごへんじ)一幅には、現在の私たちにも読むことのできる文字がありました。
「清酒」という文字です。身延山にいらっしゃった日蓮聖人は、冬の寒さを少しでも和らげるためにお酒をお召しになっていたようで、数通、お酒を送ってもらったことに対するお礼状が残っているそうです。
「御所御返事」では、「これほとのよきさけ今年みす」とお酒の味の良さを伝えており、これは珍しいものであると安藤さんはおっしゃいます。
日蓮聖人がご入滅なさったのは弘安5年9月のことですから、お手紙自体は心細いようなご筆跡ではありますが、その喜び、感謝のお気持ちがお手紙から伝わってくるようです。
その他、「深徳院墓所検出瓦」「本徳院墓所検出瓦」を拝見しました。
第8代将軍徳川吉宗の側室であった深徳院様・本徳院様は池上本門寺にお墓所があり、徳川吉宗自身も熱心な法華経信者であったと伝わります。
徳川吉宗は、狩野常信の師事を受けて絵画に長けていたそうです。
「徳川第八代将軍吉宗筆(伝)紙本墨画 竹虎図」一幅は、墨の濃淡を巧みに用いた絵で、竹の後ろから覗き込むように虎が顔を出している、というユーモア漂う構図です。竹は力強く、虎はやわらかな筆使いで描かかれています。
○おわりに
今回の1時限目の仏教の話の中で、「親切にするのは当たり前のことではありますが」と岡本先生は笑っていらっしゃいましたが、果たして当たり前のことを、「常に」行っているかと考えますと、自信を持ってうなずくことのできない自分に気がつきます。
心は常に動いており、機嫌が悪い時、自分が苦しい時、また自分に不都合な状況を心配して、困っている人に素直に手を差し伸べることを躊躇している時もあるのではないか。自身に問いかけてみると、思わぬ「自我」が浮かび上がってくるのです。
自分の都合から少し離れて、物事を素直に受け入れる。
ちょっとしたことですが、普段の何気ない生活の中に、心を豊かにする小さな知恵を頂いたような気がいたしました。
7期 第3回 池上市民大学体験記
池上 ジオラマ