「死んだらどうなる?って聞かれても…」
1時限目は副担任の岡本亮伸先生のお話です。
2月は仏教において大変重要な出来事があります。それは、2月15日のお釈迦さまのご命日「釈尊涅槃会」です。
まず初めに、岡本先生からお釈迦さまのお亡くなりになった時の事を伺いました。
お釈迦さまが亡くなる前、一つ一つ物事を整理していった様子が伺え、これは現在でいうエンディングノートに似ていると思いました。
○お釈迦さまがお亡くなりになるまでのお話
今から2396年前、紀元前383年、お釈迦さまが80歳の時に、最後の伝道の旅に出ます。
法華経の教えを説いた霊鷲山のある所、ラジギールを出発し、お釈迦さまの故郷、カピラバストゥを目指す旅でした。
お釈迦さまは旅の最中、托鉢をしながら人々に教えを説いて、戒めを与え、生きる勇気を与え、そして心の安らぎを与える事をなさっていました。
その旅の途中、パーヴァー村(市)という所で、ある事件が起きます。
パーヴァー村(市)の鍛冶工、チュンダが、お釈迦さまご一行に朝食をご馳走したいといい、お釈迦さまはその供養を快く受けました。
出された朝食の中で、お釈迦さまは、きのこ料理をひとくち口にします。
その後、お釈迦さまは、弟子たちに「食べるのは止め、残りの料理を土に埋めなさい」とおっしゃいました。
お釈迦さまは供養をしたチュンダに説法を説いた後、お釈迦さまに激しい腹痛と迸る鮮血に見舞われます。
後々の研究で、これは赤痢の症状ではないかといわれており、朝食に出されたきのこ料理が、赤痢の菌に侵されていたのではないかと考えられます。
しかし、お釈迦さまはこうおっしゃいます。
『今まで受けた食事の供養の中で、2つ大事なものがあり、その一つは、悟り得る直前にスジャータという娘から供養された乳がゆである。もう一つが、チュンダが私たちの為に作ってくれた食事である。』
ここで、お釈迦さまの食事を作ってくれたチュンダへの感謝、また菌に侵された食事を弟子たちに食べさせなかった配慮が伺うことができます。
お釈迦さまは体調が優れない中、それでも伝道の旅を続けますが、クシナーラという地で、沙羅双樹の林の中、頭を北向きにし、右脇を下にして、足を縦に重ね横たわります。
これは、西の方角を向くことになり、お釈迦さまの故郷、カピラバストゥの方角を向いている事になります。
お釈迦さまはご遺言をされました。
「別れは必ずくる。自分を頼りに、教えを頼りに生きなさい。世の中は無常である。皆、怠ることなく精進していきなさい」
このように、お釈迦さまは亡くなる直前まで弟子たちを気遣い教えを説かれました。
○死んだらどうなる?
人は死んだらどうなるのか?
お釈迦さまは死後の事については『無記』とし、自らが体験したことが無いものは語らずとしています。
日蓮聖人は『開目抄』で、「私は法華経への信心を捨てることなく霊山浄土へ参り、再びこの世に帰ってきて人々を導きましょう」とおっしゃっています。
それでは、人が死を迎え、霊山へ行くにはどのようにすればよいか?
日蓮聖人は『波木井殿御書』にこのように記されています。
「この法華経は三途の川を渡るときには船となり、死出の山を通るときには大きな牛が引く車となり、霊山浄土への架け橋となります。霊山へ来られたなら、北東の方角の渡り廊下で日蓮を尋ねなさい。必ずあなたを待っていますよ」と。
しかし、最後にはこんな一文も。
「但し、皆さんの信心次第ですが」
最後に日蓮聖人御遺文『妙法尼御前御返事』のお話をして下さいました。
「人の命はいつまでも続くわけではなく、身分、環境、健康状態等に関係なく、必ずやってくるものです。だからいつその時がやってきても良いように、先ず臨終の事を学んでから仏教やそのほかの事を学びなさい。そうすれば地獄に落ちる事もないように思える」
と日蓮聖人はおっしゃっていて、これは死を迎える前までに、どう生きるかが大事であり、遺された家族や近しい人に伝えられる思いを残す事が大切であると、お話し頂きました。
死というのはネガティブに考えがちですが、今をどう生きるか、また死とどのように向き合うかを考える事によって、私の中での死生観を見直すきっかけとなりました。
エンディングノートについて
2時限目は担任の吉田尚英先生からエンディングノートについてのお話です。
エンディングノートとは、人生を締めくくるにあたり、最期(死)から逆算して今何をするべきか、何を遺された方に伝えるかを考え、まとめるためのノートです。
また、最期の時を逆算する事によって、今何ができるか、何を伝える事ができるかを整理し、今を充実させるきっかけにもなります。
エンディングノートに書く項目はどのようなものがあるか、吉田先生が様々なエンディングノートを分析してまとめたものを説明して下さいました。
①人生のふり返り
自分が歩んできた道をふり返り、その満足度や今後やるべき事を整理し、未来につながる人生の記録をまとめます。
学歴、職歴、資格などの自分のプロフィール、家族や友人関係、家系図や自分のルーツなどを書き記す事によって改めて人生を振り返る事ができます。
②医療・介護
さまざまな状況を想定して、病に対する心の準備をする項目です。病気や突然の事故などで、自分の意思が伝えられない場合にも貴重な資料となります。
病気・余命の告知、介護、延命治療・尊厳死など、いのちのあり方についてあらためて見つめる機会になります。
但し、倫理的な問題もあるため、記載する内容は慎重に選ぶ必要があります。
③お金・モノ
遺産や遺品の処理手続きをしておくことが大切です。
遺言状や相続の事について、預金や借金などお金についての事。モノの処分・片づけや写真・電子データの整理などが挙げられます。
また、最近流行りの「断捨離」という言葉があり、モノを捨てる事によって執着が離れ、心が軽くなる事を言い、積極的に生前に身辺の整理をする事も大切です。
カードの暗証番号やパスワードまで記載するものもありますが、家族以外の人がエンディングノートを見る事もあるので慎重な取扱いが必要があります。
④死後のこと
どのように見送られ、どこに行くのか、また遺された人たちはどうなるかを考え、「死」を見つめ直すことによって見えてくる「今」を書き記す項目です。
葬儀社の選定から葬儀のプランや規模など、お葬式に関わる事や、菩提寺やお墓の事、法事の事などを書き記します。信仰面から葬儀を取り扱ったノートが欲しいところです。
近年、エンディングノートが流行った背景として、高額の葬儀への不満・自分らしい葬儀の欲求などがあるように思います。
⑤メッセージ
遺された人に伝えたい事、未来に伝えたい想い、生きている意味を書き記すことで、生きがいや生きる張りにつながるように、愛しい人やお世話になった人々などにメッセージを残す項目です。
私も、いつか来る命の終わりに備え、また今後の生き方を見直す為にも、エンディングノートを書いてみようと思いました。
○日蓮聖人のご遺文について
日蓮聖人の四通の晩年のご遺文をみんなで拝読しました。
まずは、『兵衛志殿御返事(ひょうえさかんどのごへんじ)』です。
兵衛志とは、鎌倉時代の武士、池上宗仲の弟、池上宗長の事を指し、その宗長の官職名の事で、日蓮聖人が宗長にお手紙を出すときは官職名でお手紙を出していたそうです。
その手紙には、宗長へ味噌一桶のお礼と、当時患っていた「はらのけ」(下痢)が快方に向かった旨が記されています。
次に、1時限目の岡本先生のお話でもご説明頂いた、『妙法尼御前御返事』です。
このご遺文は、日蓮聖人の死生観が表された文章で、死を迎える前までに、どう生きるかが大事であり、遺された家族や近しい人に伝えられる思いを残す事が大切であるということが、現代のエンディングノートに通ずるものがあると思いました。
次のご遺文は、当時の身延山の様子が良く伺えるご遺文で、兵衛志へ向けたお手紙です。
3メートル以上雪が降り積もる極寒の身延で、多い時には60人もの弟子や信者をかかえ凍死者も出る中、日蓮聖人の「はらのけ」が悪化している様子が記されています。
そこに池上兄弟から贈られた綿の入った小袖がどれだけありがたいかが綴られています。
最後に、日蓮聖人ご入滅の前年末に書かれた『上野殿母尼御前御返事』というお手紙です。
体の具合が悪い中ようやく筆を執り、贈り物を頂いたお礼や、上野殿母尼御前の息子が若くして亡くなった事についてお気遣いをするなど、日蓮聖人の優しさがわかるご遺文です。
このご遺文の最後に「私自身、もはや長くはこの世にいないでしょう」と記してあり、死を覚悟されていたことがうかがわれます。
霊宝殿
今回の霊宝殿では、歴代の貫首様のご真筆などを拝観しました。
中でも第9世日純聖人の肖像画は大変めずらしいもので、本門寺の貫首様の肖像画はほとんどなく、現存する中では一番古いものだそうです。
生前に描かれた肖像画には日純聖人の直筆でお題目と署名が書かれていて、描かれた年代、絵師、当時の状況等がわかる、史料的価値が非常に高いものだとご説明頂きました。
次に、44世日戒聖人の4幅のご本尊を説明していただきました。
この4幅のご本尊には年代差があり、当初はお守りとして書かれたお曼荼羅であったものが、出世の次第によって書き方等が変わっていく様がわかり、大変貴重なものだそうです。
最後に、江戸時代の旗本、安部遠江守正房の遺言書の説明をお聞きしました。
ちょうど今回の講義で、エンディングノートについて拝聴していたので、今回の池上市民大学は、最初から最後までテーマに沿った内容で非常にわかりやすい内容でした。
○おわりに
今回のテーマ、『死んだらどこにいくのか?』、『エンディングノートについて』を拝聴し、生命は死というものから逃れられず、私の場合、死と直面した際には、今のままでは心に余裕はないと思いました。
私はまだまだ若輩者ですが、死というのはいつやってくるのかわかりません。
ただ、今回の講義を拝聴し、今の時点でエンディングノートを書き、死を改めて見つめ直す事によって、心にゆとりができると思います。
心にゆとりができることによって、他を思いやる心、優しさを育む余裕ができるのではないでしょうか。
死の準備の為の『エンディングノート』ではなく、心にゆとりを作る為の『エンディングノート』だと、私は感じました。
池上市民大学体験記について
エンディングノート 死