『池上の自然環境をみる』
突然、寒さが戻ってきた4月20日(土)。小雨の降る中、寒さなど気にならないように、池上本門寺の境内ではツツジや藤の花が色鮮やかに咲いています。
池上市民大学1時限目は、環境省環境カウンセラーの小野紀之先生にお話を伺いました。
池上本門寺に隣接する本門寺公園は、大田区では「縄文のみち」とも呼ばれています。本門寺公園は、縄文時代の木が残っている貴重な場所です。
通常、公園には冬には葉が落ち、日光がよく当たるように落葉広葉樹が好まれて植えられています。本門寺公園になぜクスノキ、スダジイなどの常緑広葉樹が多いことから、縄文時代にこの辺りは海に面した岬だったことがわかります。例えばタブノキなど海岸林を形成し、昔は中をくり抜いて、舟として活用されていました。
自然の中の大木は、エアコンと同じ働きをするそうです。大木は地中に深く根を張りますので、夏場は地下の冷えた水を吸い上げ、木肌は冷え、周囲の温度を下げます。冬場は暖かな地下水を吸い上げ、周囲の空気を暖めます。
現在、私たちは木が二酸化炭素を吸収し、酸素を放出してくれることを知っており、緑化に対して積極的ですが、小野先生はただ緑が増えれば良いとは言えないと指摘します。
二階建ての建物よりも高い木と、よく道路脇に植えられている木の二酸化炭素吸収量に明らかな差があるからです。人間が1日で排出する二酸化炭素は、何もせずに呼吸するだけで約1㎏だそうです。目安として、二階建ての建物より高い木で、幹の周囲がCDくらいであれば、木2本が人間1人分の二酸化炭素を吸収してくれる計算になります。高い木は、低木より約5倍も二酸化炭素の吸収力があるのです。
もし、道や公園で高い木を見つけたら、「この2本の木が自分の命を支えてくれるんだ」と考えたらどうでしょう。決して木に無関心ではいられなくなると思います。
夏場、木が乾いていれば、水をかけてやるくらい簡単なことです。緑化に励むことも大事ですが、その前に木に愛情を持つ、木と共存している私たちという感覚を持つことが大切です。
また、小野先生は虫たちにも注目してほしいと、虫について面白い話をいくつかして下さいました。「ダンゴムシ」の名が出ると、みなさん嫌そうな顔をします。私も虫嫌いなので、「ダンゴムシの足は何本か?」ときかれた時には考えるのも嫌でした。(足は14本だそうです!)
ところが、ダンゴムシがよく都会のコンクリートから発見されるのは、固い殻のカルシウムを形成するためにブロックを食べているという話になりますと、眉をひそめていたみなさんの顔も「へえ~」と少しダンゴムシに興味を持ち始めたようです。
また、セミの羽化の様子も、小野先生によると、ぜひ一度は見ておいたほうが良い感動の場面だそうです。虫嫌いの私も、「幼虫はちょっとなあ」と思いながら、少し興味が湧いてきました。
緑化運動と言うと、「地球の裏側へ行って植林をしなければ」と壮大なイメージを抱く人もいるそうですが、地球の大気はつながっています。まずは、身近なところから自分のできることを実践していきましょう、と小野先生はおっしゃっていました。
唱題行 千部会のご案内
本殿にて、三友正法先生を導師に、唱題行を行いました。法界定印 (ほっかいじょういん)という手の組み方や、呼吸法など丁寧に教えてくださいました。
ゆっくりと呼吸を繰り返す間にも、「そういえば、あれをやらなくては」など、余計な雑念が湧いてきます。三友先生によりますと、そういった雑念が浮かんでくるのは自然なことで、その考えを追わないことに努力することから始めると良いそうです。というのは、完全に無心になることは非常に困難だからです。
「無心」になることは難しくても、「無我」になることはできます。例えば、「今日の夕食どうしようかしら?」と考えるよりも、その夕食を待っている家族のことを考えるのです。そうすると、自分のことを離れることができると言います。
ゆっくりと呼吸を繰り返すと、リラックスの効果もありますので、瞑想することを普段の生活にとり入れてみるのも良いかもしれません。
休憩時間に入りまして、4月28日の池上本門寺「千部会(せんぶえ)」について、ご案内がございました。
4月28日は日蓮聖人が初めてお題目をお唱えになられた、立教開宗のご聖日です。4月27日から3日間、池上本門寺では法要やその他行事が開催されます。
<千部会>
○4月27日(土)
午前10時 檀信徒各家先祖代々諸霊追善法要
午後2時 奉賛会各家先祖代々諸霊追善法要
○4月28日(日)
午前10時 宗祖御更衣(ごこうえ)法要
午後2時 立教開宗慶讃法要
○4月29日(月)
午前11時 子供達の健全育成祈願法要
午後2時 世界平和祈願天童音楽大法要
今月の霊宝殿
現在、霊宝殿では「春季恒例 本門寺の狩野派展」が平成25年3月31日~5月6日(土日曜、祝日、4月26・27・28日開館)開催されています。
学芸員の安藤昌就さんより、展示についてのお話を伺います。
池上本門寺では、ひょうたん形の「狩野守信(探幽)の墓」が有名ですが、狩野家は熱心な法華信者で、京都から江戸へ拠点を移す際に池上本門寺を菩提寺に定めました。江戸時代、頂点を極めた幕府奥絵師狩野四家を中心に約90基の狩野家墓所が存在します。
江戸幕府と共に栄光の道を進んだ狩野家は、家系によって伝統を引き継いでいきましたが、権力との結びつきが強すぎたため幕府と共に凋落の道をたどることになったのです。
そんな歴史の中での幕府や家系の繁栄と凋落が、絵という目に見える形で展示されているこの「春季恒例 本門寺の狩野派展」は非常に見応えがあります。
狩野派最後の大家と称される狩野養信(おさのぶ)(晴川院)は、甕の中に埋葬され、遺骨の状態が良かったため、復顔像として再現されました。この「狩野養信復顔像」平成16年(池上本門寺蔵)は、絵師の肖像画が残っていないため、とても貴重な史料です。
狩野養信の顔は、端正な物静かな老人の面差しで、気品さえ感じられます。
学芸員の安藤さんは復元された狩野養信の顔を、顎が細く、やわらかい物を食べていた上層民の様相を如実に表していると言います。
狩野養信(晴川院)筆「日蓮聖人像」絹本着色・江戸時代19世紀一幅(池上・実相寺蔵)は、淡い墨の濃淡で描かれ、もの静かで、憂いを含んだような日蓮聖人の姿が印象的です。
一方、狩野永甫筆「日蓮聖人像」は、力強く、色彩鮮やかで迫力に満ち溢れています。
家系で引き継いでいた絵の技法も、やはり個性に左右されるのでしょうか。それとも、時の将軍のご意向に叶うため、画風を変えていたのでしょうか。
狩野養信の復元された顔を見ていますと、少し哀しげに見えるのは気のせいではないかもしれません。
絵師という独占的な地位の代わりに、「描きたいものを描く」という心の自由を奪われていた狩野派の人々の描く絵は、どこか寂しそうで派手な色彩も虚ろな夢のようです。
7期 第7回 池上市民大学体験記
池上市民大学 自然